「あとで利いて来る教育」をした教師たち

shirasagikara2011-06-13

わたしはもう60年も、山形県の基督教独立学園を外から眺めている。そして、この学園は「あとで利いてくる教育をしている」とおもう。創立者の鈴木弼美初代校長は、「山奥」「少人数」「共同体」「学校がキリスト信仰の母体」という四つのキーワードを心に刻んで学園を始めた。世間や友人にさえ笑われる「反常識」の学校だった。(写真は学園内の畑地の一部)
日本の片すみの山形県、その片すみの小国町、その片隅にあるこの学園は、ことしの春、創立63周年を迎えた。いまでは山形県知事も「山形県の教育は」と問われると「基督教独立学園があります」と答えるほどになった。この小さな学園は、山形県の誇りであり、日本の誇りになった。
なぜそうなったのか。学園は教師と生徒で構成されるが、わたしは63年の歴史をつくった教師たちをおもう。生徒は3年たてば卒業してゆくが、この山奥に腰をすえ、教えつづけている教師がすごい。山奥での全寮制だから、都会の先生のように、授業が終わると「はい、さよなら」とはいかない。その全生活を生徒は見ている。しかも教師の報酬は、校長も新任教師も一律の同額だ。それも労働基準局が「最低賃金は守ってくれ」という、最低すれすれの低い水準だ。だからよほどこの学園の教育理念に賛同した志の高い教師でなければ、山奥に来ないし、来ても長つづきしない。
学園は1学年26名の少人数で、男女共学の全寮制をつづけ、農業高校かとおもうばかりに、毎日、農作、牧草刈りに汗を流し、近隣農家の農繁期には年2回1週間ずつ手伝う。しょっちゅうグループで、学校備え付けのテントをかつぎ渓谷に入ってキャンプを張り自炊する。だから体力は鍛えられ、共同作業や寮生活で自己犠牲や協力心がはぐくまれる。大学受験勉強は一切しないから、基礎学力がつちかわれる。世界のどこに放り出されても生きのびてゆける教育だ。
近年、推薦入学の枠がひろがり、各地の国公私立大学からも推薦がくる。学園卒業生は、大学での最初の1年は成績は上位でないが、高学年になるに従い学力があがる。なぜか。基礎学力があり、基礎体力があるからだ。だから評判がよく次年度以降も推薦がつづく。
こんな教育をした教師がすごいとおもう。卒業生はいつか、こんな教師に学んだことを、驚きをもって振り返るにちがいない。じじつ卒業生で学園教師になっている者が何人もいる。2011年の春の入学生の三分の一が親も卒業生だ。親も自分が受けた教育を切望しているのだ。
「ペトロはわれに返って言った。『今、初めて本当のことが分かった』」(使徒12・11)