「終活」準備完了して待機する友

shirasagikara2016-02-25

2月15日、古い友人の勝原文夫君をたずねた。彼はかつての職場の同僚で「農の美学」三部作のある風景論学徒でもあり俳人だ。
彼がわたしに「もしものさいはキリスト教で葬儀を」と頼んだのは2009年の春。喉頭ガンの疑いで検査入院する前だ。検査の結果疑いが晴れ、それを機にわたしは月1回、自宅をたずねて聖書の話を始めた。
勉強家の彼は聖書もよく読み、2009年暮れには「信仰によって義とされる」という聖書の意味が解け、「キリスト信仰告白」をしてクリスチャンにされた。これで「死の備え」は整えられた。
勝原君は学徒出陣で入隊すると、ベッドの右に牧師の息子、左に無教会の戦友がいた。勤めた国立国会図書館調査局では、右に石原義盛、左に藤尾正人と「同期三人」で並び、石原、藤尾は聖書研究会創設の面々。おまけに、その聖書研究会の講師の山崎孝子・津田塾大学教授は彼のいとこ。しかし彼は、むしろ親鸞に惹かれてキリスト教には近づかなかった。
ところがキリスト教入信いらいの彼の「終活」(人生の終末をめざした活動)は見事だ。まず2010年には、近くの葬儀会館で自分の葬儀会場を視察した。そこには葬儀される本人、司式する藤尾、遺族代表、友人代表も同行したので会館もびっくり。2011年には米寿記念に「残照〜一市井人の生と死」を出版して遺言がわりに配った。それでも「お召し列車はまだ来ない」。
そこでわたしは勝原君の「葬儀の式次第」もつくった。彼が葬儀で歌ってほしい讃美歌、挨拶する友人家族や、彼の自選俳句も刷りこんだ。あとは「葬儀」の日付を入れるだけだ。お墓も用意されている。その上、2月15日にたずねると、彼の死後1年、3年などの記念会をどうするという相談までした。勝原君はあす召されても、百まで生かされても感謝なのだ。その死を待つ柔和な笑顔がいい。
ところが、こんなに完璧に用意万端整えられると、神さまはかえって「死」を遠ざけられるようだ。「人はその使命が終わるまでは死なない」とは、アフリカ伝道・探検家リビングストンのことば。勝原君の使命もまだ終わらないらしい。「わたしの時は、あなたの御手にあります」(詩篇31:16)<写真はフキのトウと福寿草