ハンセン病の友ら偉大ぞ

shirasagikara2015-04-25

4月22日(水)、いつものように日帰りで、宮城県北端の白鳥去来で有名な伊豆沼近くの「いそちゃん」に会ってきました。「みちのくの友らたずねて五十年われも老いたり磯乃も老いけり」
国立ハンセン病療養所・東北新生園は、50年前の1965年・昭和40年ころ、燃えるようなキリスト信仰がひろがっていました。椎名フサという女性クリスチャンを中心に、ある教団が建てた教会を出て、池のほとりの購買部の建物の奥で、無牧師の平信徒集団の礼拝をしていました。超教派の立場で、どの教会の牧師でも無教会の伝道者も大歓迎でした。やがて自分たちの会堂がほしいと、丘の上のカトリック教会のとなりに、元気な患者は屋根に登り、大きな畳敷きの「キリスト教信交会」の建物を造りあげたのです。
そのころ、新生園の患者は600人、うち200人がクリスチャンで、150名は「信交会」に属しました。もとの教会に残る者はわずか、カトリックも神父さんがときどきミサにこられるだけで目だった活動はなく、「信交会」が燃えに燃えていました。
あの「炊飯器をたたいて福音を喜んだ小池妙子さん」も、「指三本で『感謝なことに』と手紙を書いた鈴木磐井さん」も、「失明した時『あなたに忍耐の力を与える』と天使につげられた近江キヨさん」も、のち新生園を出て栃木県で伝道を始めた佐々木英三郎さんも、みな「信交会」の信徒でした。
「目も口も手足も弱くいざりいる磯乃ひれ伏しみことばを聴く」
「盲目の友も来たれど耳遠し聖書ひらかず福音を怒鳴る」
「みことばはよくわかりました感謝です福音聴くは久しと二人喜ぶ」
「『先生もう手紙書けなくなりました』磯乃のひらかぬ両手さすりぬ」
「手をまわし磯乃を抱けば骨ばかり指さきに満ち悲しかりけり」
「さようなら見つめ手を取り去りゆけば池にはあわれ花いかだ浮く」
「不平ひとつもらさず生きて召されたるハンセン病の友ら偉大ぞ」
いま新生園の患者は100名を切り、信交会の信徒も20人を割りました。
「ああ幸いだ、悲しんでいる人たち、彼らは慰められるであろう」(マタイ福音書5・4)
<写真の左がカトリック教会、右が信交会の会堂>