2006-02-01から1ヶ月間の記事一覧

活字に飢える 音楽に飢える みことばに飢える

むかし帝国陸軍の船舶幹部候補生隊にいたころ活字に飢えました。活字は軍隊でもあふれています。「軍隊内務令」「歩兵操典」「船舶操縦操典」。しかしそんなものは活字であって活字でありません。「本」が読みたかったのです。 あるとき中尉の歴史教官が「岩…

白鷺城 三つの条件

2月22日、久しぶりに姫路の白鷺城に登った。冬の青空にそそり立つ雄大な城郭は、世界文化遺産にふさわしい美しさだ。なぜ姫路城が美しいか。わけは三つ。 第一は優れた設計思想。第二に最高の材料を使用。第三は仕事に手抜きがない。 新築のさいはきれい…

もう天国が近い近い

日曜の朝は母と家内とわたしの三人で家庭礼拝。家内が父の愛唱賛美歌をえらび礼拝の聖句を読む。わたしが祈り、パンをさき、ぶどう酒を三人でいただく。聖書の話を10分ほどわたしがする。聞いている二人は伝道者の妻だ。耳は肥えている。小人数とはいえいい…

化粧とスッピン

若い女性が電車の車内で化粧をしている。大きな鏡を取り出し、人目もはばからず夢中でやる。時々目をくわっと開いてくまどりをする。唇に紅をぬり、眉に細い刷毛を使う。 はしたないとか、無作法、臆面もなく、といった言葉をすべてはね返す熱心さで、鏡に見…

鈴木弼美の独創性

鈴木弼美(すけよし)は内村の弟子であったが、ほかの弟子たちが内村方式の伝道をしたのとはちがい、内村が「他人のまねをしない」という「独創性」をまねた。 彼は教会でなく、学校を信仰の母体にする伝道を考えた。その学校も山奥に創った。しかも1学年25…

内村鑑三の独創性

平信徒伝道の無教会主義を提唱した内村鑑三は、日本で独創的な伝道を始めた。教会のように会堂を建てず会場を借り、会衆に献金を求めず均一の聴講料とした。また信仰雑誌を発行して購読料を収入とした。その内村の弟子は同じ伝道スタイルをまねた。 しかし雑…

般若心経と歎異抄

「般若心経」がブームという。分かりやすい自由訳も出て本屋の店頭にならぶ。262文字のこの経典は、204文字のキリスト教の「使徒信条」と共に信仰のエッセンスだ。 わたしも「ぎゃてー、ぎゃてー、はらぎゃてー、はらそうーぎゃてー、ぼうじそわか」と丸ごと…

満を持して

「わたしは二月が好き」とある女流歌人が言った。歌詠みは自然の気配に敏感だ。花がいっせいに開く三月より、満を持して木の芽がふくらみ始める二月に、時の動きを鋭く感じるのだろう。 庭の梅は枝のすみずみまで今に咲くぞとつぼみを並べ、福寿草は黄色い頭…

20歳、40歳、60歳、80歳

いま入学受験のまっただなか。中学、高校三年生は全員が希望校に合格するわけではない。しかしものごと長い目で眺めることも必要だ。日本は人生80年の時代。0歳から数えて、40歳で折り返し。さらに20歳、60歳と二つの結び目がある。 有名校に入れたと、20歳…

書・自分流に生きる

上野で日本・中国の「書の至宝展」を見た。 王義之や仏教径典写経の端正な書体が、平安期のかな文字から、日本語書体はふくらみを帯び一気に美しくなる。それが会場最後の良寛の六曲一双の屏風に結実。これは「かな」かと見まごうばかりの「漢詩」の自由さ、…

福音のよろこび

きのう数名の、話しておきたい方に福音を語った。「福音」とは「うれしいお知らせ」。どれほどうれしいかというと、飛び上がるほどうれしい。 わたしは福音がわかったとき、うれしくて、走りながら聖書をしばった風呂敷包みを空に放り投げ、受けてはまた放り…

席をゆずる

白髪(しらが)頭でステッキを突き電車に乗ると、たいてい若者が席をゆずってくれる。わたしは感謝して座り、降りるときその方に必ず声をかけて挨拶する。 きのうも電車に母娘が座っていて、娘はわたしを見ると、にっこり笑って立ち上がった。日本も捨てたも…

クオレ・愛の学校

イタリアのトリノで冬季オリンピックが開催中。トリノといえば「クオレ」を思い出す。ブログと同じ「日記風」で、その名もかわいいエンリーコの小学4年生の記録。 愛と友情と勇気にみちた日記がつづき、ちりばめられた「毎月の話」も、「母をたずねて三千里…

バレンタイン

きのうは、日本中がチョコレート・メーカーの餌食になって、女性たちがチョコ売り場で血眼だ。本命、義理チョコが乱れ飛ぶ、平和な日本の風景。 女性から愛する男性に愛を告白する日らしいが、古今東西を通じて不滅の心情。 「万葉集」にも「わが背子はもの…

ねこのポチ

わが家に一匹ねこがいる。わが家といっても、103歳の母と同居の妹夫婦の住む1階にいる。妹の娘が米国留学の帰途連れてきた。オス、名はポチ。推定80歳、私と同年代。肥満がすすみよたよた歩く。米国生まれのせいか魚は見向きもしない。 陽当たりを求めて一日…

生涯現役と現役引退

「生涯現役」と張り切る方もいる。だが人それぞれ。わたしはある時期に現役引退がいいと思う。なぜなら人は老いると、えてして頑固になり後進の道をふさぐからだ。 いま100歳前後の日本人は、日本が史上初めて高齢社会に突入した「長寿第1世代」だ。だから年…

乗松さん

きょうは乗松(のりまつ)さんの85回目の命日だ。乗松さんといってもご存知あるまいが、日本人最初の海外伝道者。1896年に朝鮮伝道に向ったが、その前年、日本公使が指揮した朝鮮王妃虐殺の「閔妃(みんび)事件」が起こり、反日感情渦巻く朝鮮だった。 韓国…

お犬さま

JR中野駅北口のサンプラザから環七にかけて、むかし「囲(かこい)町」と呼ばれた。将軍・綱吉が1687年「生類憐み令」を出し、このあたり30万坪に10万匹の野犬の「お犬さま」を囲って飼った。人間より犬を大事にしたおかしな時代の名残だ。 NHKで「…

50年に一回

「東横イン」というホテル・チエーンが、建築確認後60ほのどのホテルで、身障者用駐車場や点字ブロックを外し、その客室まで改造したと非難されている。社長は「年に一人か二人の利用者なので」と弁明、謝罪した。 むかし金森徳次郎という日本国憲法制定担…

関口隆克先生

髪で思い出すのは関口隆克先生。最初わたしの頭を先生がバリカンで刈った。先生は朝、ひげのかみそりで頭の後ろの毛も切りパッパッと払っておわり。後ろはぎざぎざ。 愉快な方で、毎日しゃべっても一年間同じ話がないほど話題が豊富でおもしろい。わたしはあ…

母の髪を刈る

昨年、美容師のMさんが急逝された。彼女は毎月わが家に来て母の髪を刈ってくださった。そこで母はわたしに刈ってくれという。わたしは永く自分で髪を刈っているから鋏の扱いになれてはいる。しかし他人の髪を刈ったことはない。 やむなく母の髪をもう二度刈…

自分の髪を刈る

自分の頭を自分で刈りだして、かれこれ40年になる。最初は陣立てがたいへん。三面鏡を買ったり、下に新聞紙を敷き詰めたり、首に布を巻いたり。 しかし今はいたって簡単。洗面所の鏡の前に立ち、前にくずかごを置く。少し濡らした髪の右側をつかみ、両手で…

日本海美人

島根県の愛真高校に講演で出かけた時、海岸の砂浜に漂着したおびただしいハングル文字のゴミに驚いた。朝鮮半島から日本へは、西からの風でゴミですらすぐに来るのだ。 朝鮮から船を出して亡命や漂流すれば、まず最初にたどり着くのが「出雲半島」。つぎは「…

聖なるものへの畏敬

デンマークやフランスやドイツの新聞に、イスラム教最大の預言者ムハンマドの風刺漫画が掲載され、イスラム諸国から猛反発が起きている。新聞社は表現の自由を主張するが、これはいけない。西欧で「聖なるものへの畏敬」のこころが低下した結果ではないか。 …

「福は〜内!」「エスは〜内!」

テレビで今年も、成田山からの豆まきを放送している。 少年の日、豆まきの夜はかすりの着物で走りまくった。豆をまく大きな旅館や、呉服屋の前へ走るのだ。たいてい二階の手すりからまく。すぐかすりの羽織を脱ぎ、前で両手を袖に通す。こうして羽織の両端を…

ことばを研ぐ

わが友、韓国の詩人・李烈(イ・ヨル)は「ことばは節制の中で/うるおい出で/苦悩がうち鍛える/霊の/色どり雨だれにきらめく」と詠んだ(ある悲歌「受難曲」所収)。そうだ、節制の中でことばは鍛えられ、うるおいをおびてきらめく。 「ブログ」を始めようと…

顔を研ぐ

ある時「イエス」の映画試写会にでかけた。映写時間の入れ替えで、映画館の階段上から降りてくる人波があった。ほぼ教会関係の方々、それも今観た映画に感動された顔だ。わたしは少し前、JR駅の階段を降りてくる群衆の顔を思い浮かべ、違うなと感じた。 ふ…

如月(きさらぎ)

きょうから2月。古い呼び方では2月を「如月」と書いて「きさらぎ」と読む。「着物をさらに着る」が語源らしい。「四月一日」という珍しい姓がある。「わたぬき」さんと読む。貧しかった時代、一枚の着物に綿を入れて冬着とし春四月に綿を抜いて春着とした…