2008-01-01から1年間の記事一覧

四つの洗礼

2008年は四つの洗礼にあずかった。 春4月。突然「洗礼を受けたい」と電話があった。わたしはこのときを待っていた。もう二児の母になった彼女の実家で家庭集会をしたさい、彼女はわたしのそばで熱心に話を聞き、わたしも彼女を目当てに福音を話した。その家…

国会図書館聖研六〇周年

60年まえの昭和23(1948)年5月26日、赤坂離宮(いまの迎賓館)にあった国立国会図書館の一室で、聖書研究会を石原義盛、清水望、藤尾正人の3人で始めた。この12月12日(金)の昼休みに、その60年を祝うクリスマス集会が、永田町の図書館であった。 そのころ…

捕虜虐殺を拒否した渡部良三さん

12月7日(日)の夜、NHKが「最後の戦犯」を放送した。敗戦まぎわに、米軍捕虜を上官の命令で惨殺した見習士官が、BC級戦犯に指定されて潜伏。家族ともども苦しむストーリだ。当時「上官の命令は天皇の命令」で、拒めば「抗命罪」。命令拒否は不可能だったこ…

酒を飲んで背教者に

このあいだ、初めて会った方から「あの『聖書とお酒』に救われました」と声をかけられました。わたしの「インターネト聖書ばなし」第八集に入れた「聖書とお酒」を読んだらしく、以前所属した教会では、お酒を飲むのは罪と教えられてきたそうです。 むかし、…

お祈りが苦手

「わたし、お祈りが苦手なんです」と言う方がいる。正直な方だ。そういえば、わたしも苦手かもしれない。イエスのように、ひとり徹夜して祈ったという経験はない。 韓国で教会の徹夜祈祷会(チョルヤキトヘ)に出たことがある。11時から午前3時ころまでだが…

ハンセン病療養所にて

11月18日(火)に日帰りで、東北の国立ハンセン病療養所を訪問した。 かつては600人もいた患者がいまは130人ほど。ハンセン病が治癒して、多くの元患者は退所し、残っていられるのは障害のある方々だ。130人のうち、プロテスタントのキリスト教信交会の会員…

余白の美と、余白恐怖症

中国や日本の山水画には、余白の美がある。 深山幽谷のかたわらに茅屋がえがかれ、禿頭(とくとう)白髯(はくぜん)の老人が書を読み、遠来の友人と談笑する姿。空は高く渓川は深いが、すべてに墨を入れない。また花鳥図もそうだ。竹や蘭の葉が、鋭くひと筆…

叙勲辞退と神の叙勲

ことしも秋の叙勲の季節だ。日本中、名士一家のさんざめく声が聞こえる。 「主義として叙勲辞退す菊日和」(勝原文夫・第3句集「ペン皿」2008年9月)。勝原君は、国立国会図書館調査局創設以来の、「勝ちゃん」とよぶわたしの親友。もうひとり石原義盛君と三…

吉祥草と原始キリスト教会

吉祥草(キチジョウソウ)の花が咲いた。無数に咲いた。庭の東南にモチの木がある。その根方1メートル四方に、いつのまにか吉祥草がふえた。たぶん鳥が種を落としたにちがいない。地下に茎を延ばし、また地上に這わせ、びっしりランのような細長い葉を群生させ…

尊敬する三人の韓国人

1967年、昭和42年に、初めて韓国を訪問してから41年。たくさんの韓国人と深い交わりをむすんだ。韓国では数十回も民泊し、韓国人の生活と心にふれた。日本のわが家にも、のべ数十人は泊まられた。すべてクリスチャン。しかも一人として、いやな思いをしたこ…

結婚55年

10月19日は、わたしたちの結婚した日。1953年、昭和28年のことで、55年も前。 55年たったが、まざまざと覚えている。わたしは28歳、花嫁は20歳。式場はわが家の1軒おいて西隣りにあった、ルーテル神学校のチャペル。プログラムは自分で謄写版印刷をした。画…

舌の記憶・最後の晩餐

ほんとうにおいしいものを食べた記憶は長く残るものだ。 銀座のスエヒロで、初めて牛タンを食べたときの驚き。同じかたに、日本橋のお座敷てんぷらをご馳走になった。座敷なのに足を下ろして目の前で揚げてくれた味。日本が米国と戦争を始めたころだが、忘れ…

部落解放研究全国集会

10月3日の夜、「部落解放研究全国集会」が、宮崎市で開かれている様子をテレビで見た。国連の世界人権宣言60周年を記念しての開催だ。 思えば、京都の部落問題研究所で、そこの幹部の方と面談したさい、「わたしたちのこの運動は、あと10年で成し遂げます」…

「使い捨て」の優れもの

100円ショップの「使い捨て」韓国製ひげ剃りを使い始めて数年になる。使う理由の第1は、ねだんが安い。100円で5本も1袋に入っている。1本20円だ。第2に、それでいてよく剃れる。1回で捨てられない。わたしの顔なら4回は十分使える。いや5日はもつ。すると1回…

多摩霊園にて

秋の彼岸に、家内と多摩霊園へ藤尾家の墓参りに行った。どなたかが、もうきれいな花々を供えてくださっていた。 じつは毎年夏の終わりに墓の草取りに出かけていたが、もう老年なので、この6月、工事を頼み、墓の土を掘り、コンクリートでかため、黒い小石を…

長寿に耐える覚悟

きょうは「敬老の日」だ。百歳以上の日本人は、2008年9月1日現在、36276人だという。1970年、昭和45年、百歳以上は全国で310人だった。わずか40年で、百歳以上が120倍になった勘定だ。 テレビなどは、元気な百歳のばあさん、じいさんを紹介しているが、この…

隠岐の島にて、後鳥羽院のこと

隠岐の島へ渡った。変化に富む美しい島々だった。8月26日(火)〜27日(水)、島根県江津市のキリスト教愛真高校での教師研修会に参加し、31日(日)の全校礼拝までの3日間を隠岐へ旅した。隠岐にもキリスト教会があり、島から愛真高校に入学してくるという…

モーセのことばはモーセよりりっぱ

むかしイスラエル民族が、エジプトの奴隷から解放され、指導者モーセのもと意気揚々と出発したのもつかの間、追い迫るエジプト戦車軍団と、前にひろがる芦の海に挟まれて悲鳴をあげた。 そのときモーセは「恐れるな、落ち着け、神が戦われる、静かにしろ」と…

「長寿に耐える」母・106歳

2008年8月23日(土)、わが母・藤尾貞子は、主イエスのあわれみで、満106歳の誕生日を迎えた。驚くべき生命力。わが母ながらあっぱれ。 わたしの母の年代が、日本史上、初めて高齢社会を体験する世代になった。昭和の初め、1930年代は「人生50年」といわれ、…

高村光太郎と日の丸の揮毫

1945年8月15日。わたしは日本の敗戦を軍隊の中で迎えた。巨大な組織が崩壊するのを内側から見た。8月20日すぎから米軍の押収を恐れて、さまざまな秘密資料が焼却された。その火のなかへ、先輩・友人が揮毫した日の丸を投げた戦友がいた。「どうして焼くの」…

北京五輪と中国と日本

2008年8月8日午後8時。めでたい8を4つ並べて北京五輪が開幕した。その開会式をテレビで見たが、これまでの西側諸国のそれと、まったく違う眺めだった。 どこが違うか。第一は「歴史の重み」だ。BC1500年・殷王朝成立以来の歴史の重層だ。第二は「文化の深さ…

虫けらのように殺されて

7月27日(日)、NHKが「兵士たちの戦争・ガダルカナル」を放映した。1942年、南太平洋のソロモン諸島・ガダルカナルでの日米最初の地上戦だ。 憤りを覚えるのは、参謀本部の高級将校も前線の指揮官も、ジャングル戦の過酷さを知らず、地図ひとつなく、米軍の…

準備万端整わず

思えば「準備万端整わず」の、わたしの人生だ。もちろん、完璧な準備など、できるはずもないが、それにしても、準備万端整わずに、よくここまで来れたものだ。 洗礼からして、洗礼準備の教育を受けたわけでもなく、軍隊に入るまえ、福音を聴いた日、その場で…

「カナ」と「ハングル」

紫式部が「源氏物語」54帖を完成させたのが、いまからちょうど千年前の1008年のこと。世界最古の女流作家として、パリのユネスコ本部に彼女が飾られている。 これは「ひらがな」が、千年も前に日本の知識階級の女性にひろく用いられていたからだ。カタカナは…

木喰の微笑仏彫刻

木喰さんの微笑仏)彫刻展を見に、横浜そごう美術館まで出かけました。それも一度ならず二度までも。 なぜなら、北海道から九州まで、全国から集められた木喰の彫刻一三〇体が、本来おかれている暗いお寺の本堂とちがい、明るい照明のもと、彫刻の正面はもち…

「いくさしごろ」と「盧溝橋事件」

きょう七月七日は七夕の星祭り。北海道の洞爺湖畔ではG8のサミットが開催される。しかしわたしにとってこの日は、一九三七(昭和一二)年七月七日の盧溝橋事件がいちばん記憶が鮮明だ。あとでふりかえると、長い日中戦争の幕明けの日だった。 当時わたしは…

阪神フアンとキリスト応援団

阪神タイガースの快進撃がとまらない。セ・パ両リーグの交流戦でも、優勝チームと同率の成績で、球団首位もキープ。父がいたら「バンザイ!」と叫ぶだろう。 わたしの父は、超熱烈な阪神フアンだった。わたしは巨人嫌いの、そこそこの阪神党。父は阪神が勝つ…

イエスのことはイエスに聞け

「読まない本を買うくらいなら旅をしろ」と教えられ、なるほどと、若いころから旅に出た。ふり返れば、日本国中、足を踏み入れない都道府県はない。また外国旅行も聖地巡礼のほか、あちこち外国伝道の旅をゆるされた。旅には「知らなかった」という感動があ…

聖書ってほんとうにいいものですね

映画評論家の水野晴郎さんが、6月10日に亡くなられた。テレビの映画解説の終わりに、「いやあ、映画って、ほんとうにいいものですね」という口ぐせを残された。映画を知りつくし、よほど映画を愛していないと出てこない言葉だ。 わたしはこのひそみに倣(な…

キリスト信仰の継承・愉快に一所懸命

庭のどの草木も一所懸命だ。根づいた場所で懸命に伸びている。たしかに根づくことはすごいこと。アサガオのような一年草は、毎年種をまかないとふえない。 キリスト信仰も根づくことが大事だ。根づくとは、一代かぎりでキリスト信仰が終わらないことだ。本人…