2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧

正しい人が自分を罰すると相手が変わる

新島襄は1880年・明治13年に、同志社で学生の授業ボイコット事件が起こったとき、校則に従い、徳富猪一郎らの学生を処分すべきところ、事件の責任は同志社にある、校長の自分にあると、礼拝後「諸君、ごめん」と杖をふりあげ左手をうちつづけ、皮膚が破れて…

「天路歴程」の深くも浅くもなる川の「彼岸」

お彼岸(ひがん)です。「彼岸」と聞くと、わたしはバニヤンの「天路歴程」(The Pilgrim's Progress)第1部の最後の「川渡り」をおもいだします。リンカーンも丸太小屋で「聖書」と「天路歴程」は愛読したという名著。その夢物語りのあらすじはこうです。 …

片手でくるまの運転。片手わざ

9月5日の夜、東京・初台の東京オペラシティ・コンサートホールで、日本の「ユーオーディア管弦楽団・合唱団」と台湾の「音契合唱管弦楽団」の合同演奏会が開かれ指定券をいただきました。ともにキリスト教の音楽団体です。 チャイコフスキーの「交響曲5番・…

信仰の平熱 平凡な信仰

八九歳の老人。ことしで洗礼を受けて七〇年になります。いろんなタイプのクリスチャンと出会いました。驚くほどの「強い信仰」「広い信仰」「深い信仰」「熱烈な信仰」「静かな信仰」の方々です。 しかしいま、ふり返ってみると、大事なのは「平凡な信仰」だ…

あたまの信仰、からだの信仰

ひとくちに「キリスト信仰」といっても、「あたまの信仰」と「からだの信仰」があります。だれしも最初は、キリストが救い主であること、キリストの十字架の死により罪ゆるされ、その復活で永遠の命が与えられることを心で信じ、あたまで納得し、口で信仰告…