2014-01-01から1年間の記事一覧

「週刊ブログ」から「月刊ブログ」に

来る2015年から、この「週刊ブログ」を、<毎月10日掲載>の「月刊ブログ」にいたします。理由は三つです。 まず、満九〇歳になったことです。九〇歳になれば、活動のレベルを一段下げてもお叱りを受けますまい。わたしは1924年(大正13)12月26日に生まれた…

貴くて低いクリスマス

「ちいさい秋みつけた」や「リンゴの唄」で有名な詩人・サトウ・ハチロウにこんな童謡がある。 /おん馬がないて/目がさめた/まぐさの桶の/イエスさま/泪(なみだ)の路の/頬っぺたに/ぽつんとついてる/からす麦/起っきしたのと/マリアさま/添乳(そえじ)を…

清水望さん、主に召される

憲法学者の清水望さんが、12月3日(水)主に召された。90歳だった。ご家族を中心にした告別式が12月6日(土)にあった。わたしはご遺族からその司式をたのまれた。 彼の生涯をふりかえると、二本の大きな柱が立っている。一本は「キリスト信仰」。これは90年の…

「聖書ばなし」第9集、第10集の刊行

1944年晩秋に浅田正吉先生に導かれて洗礼を受けてから満70年になります。1948年春、酒枝義旗先生から喜びの福音を教えられて66年になります。その後、ものを書くとき、日本人らしい日本語で福音をわかりやすく伝えたいとずっとおもってきました。 1996年から…

「老人の会話はつねに新鮮」「キリストの福音もつねに新鮮」

日本では「年寄りの繰り言(ごと)」といって、老人が同じ話をするのをいやがります。しかし白洋舎をつくられた五十嵐健治翁は、それを逆手にとって「老人の会話はつねに新鮮」と言われました。老人同士だと、同じ話でも、前に聞いたことを相手も忘れて「あ…

伝道と謝礼 パウロの深呼吸

伝道者が聖書の話をすると謝礼をいただきますが、伝道者は福音を語るのが第一です。、空の鳥を養われる主を仰ぎお金から手を放しています。報酬は与えられなくて感謝、少なくても感謝。多くて感謝です。 聖書のお話に行って、いただいた封筒に、お金が入って…

寄らばキリストの陰・聖なるのんき

「寄らば大樹の陰」ということば。「同じ頼るなら、しっかりしたところに頼れ」という意味です。人間だれしも、仏教の大伽藍、イスラム教の大モスク、カトリックの大聖堂に入ると、小さい自分も、大きなものに包まれて、なにか気持ちが落ちつき、安心感が生…

「よそ行きの顔」と「ふだんの顔」

むかし、なにか家でめでたいことがあり、写真屋さんを呼んで集合写真を撮るとき、「よそ(他所)行きの顔をして」と言われたものです。ふだんのふざけた顔でなく、人さまに見られて恥ずかしくない、まじめな顔になれという注意でした。家で写真を撮るのは年…

水平の祈りと垂直の祈り

ある無教会の集会に出たときのことです。司会者が「〇〇先生、閉会のお祈りを」と頼まれると、やおら立ち上がられた先生は、「神さま、わたしと内村鑑三先生との関係は大正〇〇年に始まり」と、ながながと内村の話をされたのに驚きました。お祈りというので…

ひょんなことから自分の頭を

ひょんなことから、もう半世紀近く理髪店と縁が切れました。1965(昭和40)年、当時勤めていた国立国会図書館の地下に理容室があり、予約すると仕事の合間に散髪ができたのです。散髪ぎらいなわたしが、1ヵ月半も毛を伸ばしてそこへ行くと、髪の量の多さにあ…

引越し民族・賢いユダヤ人

「しょっちゅう引越しをしていたから、ユダヤ民族は賢くなった」と、ユダヤ系女性と結婚した友人から聞きました。 ユダヤは、紀元七〇年にローマ帝国により滅ぼされてから、世界中に離散(ディアスポラ)しました。自分たちを守ってくれる政府も軍隊もありま…

「愛称」「敬称」「尊称」

日本には「世界でも珍しい驚くべき風習」があります。なんでもかんでも、物でも人でも「愛称」「敬称」でよぶことです。また目上の方への「尊称」も忘れません。 まずは「ちゃん」づけの「愛称」です。「あかちゃん」「坊ちゃん」「お孃ちゃん」、「父ちゃん…

罪とゆるし

「罪とゆるし」。これは聖書の最大のテーマ。そのハイライトがキリストの十字架です。旧約聖書にも「ヨセフとその兄弟」に、罪とゆるしの実例を見ます。ヨセフは兄たちが自分をエジプトの奴隷商人に「売ったこと」を「神さまの派遣」ととらえてゆるしていま…

正しい人が自分を罰すると相手が変わる

新島襄は1880年・明治13年に、同志社で学生の授業ボイコット事件が起こったとき、校則に従い、徳富猪一郎らの学生を処分すべきところ、事件の責任は同志社にある、校長の自分にあると、礼拝後「諸君、ごめん」と杖をふりあげ左手をうちつづけ、皮膚が破れて…

「天路歴程」の深くも浅くもなる川の「彼岸」

お彼岸(ひがん)です。「彼岸」と聞くと、わたしはバニヤンの「天路歴程」(The Pilgrim's Progress)第1部の最後の「川渡り」をおもいだします。リンカーンも丸太小屋で「聖書」と「天路歴程」は愛読したという名著。その夢物語りのあらすじはこうです。 …

片手でくるまの運転。片手わざ

9月5日の夜、東京・初台の東京オペラシティ・コンサートホールで、日本の「ユーオーディア管弦楽団・合唱団」と台湾の「音契合唱管弦楽団」の合同演奏会が開かれ指定券をいただきました。ともにキリスト教の音楽団体です。 チャイコフスキーの「交響曲5番・…

信仰の平熱 平凡な信仰

八九歳の老人。ことしで洗礼を受けて七〇年になります。いろんなタイプのクリスチャンと出会いました。驚くほどの「強い信仰」「広い信仰」「深い信仰」「熱烈な信仰」「静かな信仰」の方々です。 しかしいま、ふり返ってみると、大事なのは「平凡な信仰」だ…

あたまの信仰、からだの信仰

ひとくちに「キリスト信仰」といっても、「あたまの信仰」と「からだの信仰」があります。だれしも最初は、キリストが救い主であること、キリストの十字架の死により罪ゆるされ、その復活で永遠の命が与えられることを心で信じ、あたまで納得し、口で信仰告…

予定なし時間あり 老人

ずっ〜とむこうまで、べったり予定がないのです。「老人になると予定がなくなる」とは聞いていましたが、その日が来たのです。真っ黒になるほど「予定」を手帳に書き込んでいたのに、もう手帳すらありません。「予定なしの老人」は、「何もすることのない老…

キリスト信仰と「仏壇」

お盆です。お盆といえば主人の実家へ帰り、お墓と仏壇が待っています。クリスチャンの女性が、キリストを知らない男性と結婚したさい、この「仏壇」が問題になります。、主人の実家の行事に参加しなくてはならないからです。そのとき「わたしはクリスチャン…

敗戦記念日 それからのガラガラとニョキニョキ

八月十五日が近づくと、わたしのような老人は、あの暑かった1945年の「日本敗戦の日」をおもいだします。一つの国が亡び、目の前で歴史が大きく動きました。あの敗戦後、日本ですごいことが起こったことを若い方たちにも、知ってもらいたいのです。 まず神と…

さつま揚げと福音 「ああ違う、ぜんぶいい」

本場・鹿児島県産のさつま揚げをいただいた。一口食べて「ああ違う」とおもった。二口、三口食べて「ぜんぶおいしい」と感じた。そのとき「ああ違う、ぜんぶいい」という福音の話ができればいいなとおもった。じつはむかし、そんな話を聴いた経験があるから…

「氷点」50年 五十嵐健治と藤尾英二郎

50年前の1964(昭和39)年7月中旬、北海道旭川の三浦綾子さんから、東京のわたしの父・藤尾英二郎に電話があった。「先生、朝日新聞の懸賞小説に当選しました」。同じ電話を、綾子さんは神奈川県茅ヶ崎の五十嵐健治・白洋舎相談役にもかけていた。 7月21日、…

白洋舎新本社落成式のことば

きょねん、ここで起工式がありました。そのとき見えていた地面はいま見えません。聖書も埋めましたが見えません。その地面に鉄の杭がうちこまれ、コンクリートが流しこまれて土台が出来、この本社が完成しました。いま見えなくなった土台が、この建物を支え…

本気のキリスト信仰

人がキリストを信じようと決心するのは、説教を聴いたり、本を読んだりしたときよりも、本気でキリストに生きる人を見た場合が多いといいます。 大阪の井上くにえさん。母上は外出先から帰宅すると、いつも羽織のすそをぱっとはねて座敷の真ん中で両手をつき…

目をあけて祈る習慣を

ユダヤ教では「目をあけて祈る」のが習慣だったのに、どうしてキリスト教では「目を閉じて祈る」のでしょう。たぶんイエスさまが「祈るときは、奥まった自分の部屋で、戸を閉じ、隠れたところにいられる神に祈れ」と教えられたからではないでしょうか(マタ…

人生で、イエスさまと出会う

新約聖書の「ヨハネ福音書」4章に、シカルという町で、サマリア人の女性がイエスさまと出会う話があります。 女性は人生に疲れていました。イエスさまは旅に疲れていました。ユダヤから足早やに逃げてきたからです。なにから逃げられたのでしょう。ユダヤで…

放っておけないほどの愛情と信頼

二階に住む長男一家がシュナウザーの小型犬を飼っていて、孫娘が「小鉄(コテツ)」と名づけました。 見わたして、犬ほど種類が多い動物はいません。たいていの動物は形の上では同じです。鼻の短い象、首の短いキリン、足の長い豚はいません。しかし犬には、…

織田楢次牧師の朝鮮伝道

むかし織田楢次という朝鮮伝道者(一九〇八〜一九八〇年)にお話をお聞きしました。「チゲックン(韓国の背負道具での運搬人夫)」という伝記も書かれました。心に残ったことが二つ。 一つは、昭和の初め神学校を出て、当時日本の植民地だった朝鮮へ伝道に渡…

「学士様なら娘をやろか」 藤井武と妻の喬子

藤井武という伝道者(一八八八〜一九三〇)は、真心から妻・喬子を愛していました。喬子の父・西永公平は弁護士で、第二〇代石川県会議長(一九一八〜一九・大正七〜八年)を務めた名士です。藤井武も金沢の県立一中から東京の第一高等学校をへて、東京帝国大…