2011-01-01から1年間の記事一覧
聖書をどう解釈し、どう翻訳するかは大事だ。大切な意味がまるで違ってしまう。たとえば「ローマ人への手紙」3章22節。直訳すれば「キリストの信仰」。パウロは同じ使い方を「ガラテヤ人への手紙」3章16節でも2回やっている。 ところが、信仰の対象である「…
国立国会図書館聖書研究会のクリスマスに招かれて出席した。地下鉄・永田町駅を出ると、議事堂や図書館をとりまいて林立する銀杏が、わたしが勤めていたころより幹は太く梢は高く、その全身に黄の衣をまとって見事。「議事堂をめぐる銀杏樹黄燦々」 1948年、…
12月11日で東日本大震災から9ヵ月。しかし日本の江戸中期、南の琉球王国の八重山諸島を、東日本大津波どころではない巨大津波が襲ったことは、あまり知られていない。今から30年あまり前、沖縄の石垣島へ行った時、そこの日本基督教団の教会で日曜説教を頼ま…
「鈴蘭や赤き実一本群れ枯葉」。庭の鈴蘭がいま冬枯れの群れ葉となった。その枯葉のあちこちに、赤い実のくきが凜として立つ。春に白い花を咲かせた鈴蘭の最後の輝きだ。春、鈴蘭の2枚の葉が伸びると、うしろに花くきが1本立つ。それがところどころ実になる…
旧約聖書「サムエル記上」には、サウル王が、その臣下ダビデの名声を妬んだ、息づまる「追いつ追われつ」の争いがしるされる。なかでも手に汗をにぎらせるのが、24章の、死海のほとりエン・ゲディの洞窟の場面だ。洞窟にダビデとその部下が潜んでいるとは知…
いつもはきっぱりと「わたしは復活であり、いのちである」とか、「忠実なしもべ、よくやった」と言い切られるイエスが、十字架を前にして、あいまいな言葉を3度吐かれる。弟子のユダ、大祭司、そして総督ピラトの前だ。この3人は、イエスを十字架に追いやっ…
11月9日(水)、1年ぶりに宮城県の国立療養所東北新生園の、いそちゃんをたずねた。新生園はいま、ハンセン病療養所というより、重い障害者施設になっている。45年まえ、初めて新生園を訪問したときは600人もいた患者が、いま130人、平均寿命は80歳を越えた…
「なぜキリスト教には、こんなに教派があるのですか」とは、よく聞かれる、ごもっともな疑問だ。「キリスト教」という一つの教会であれば、どんなにすっきりすることか。しかし、カトリック教会も一枚岩のように一つに見えるが、その中の修道会の数は「教皇…
「在家キリスト信徒」が増加しているように思います。洗礼を受け一度は教会に属しながら、「籍」は残したまま、やむなく教会を離れて信仰生活を送っている方々です。わたしのまわりにも、あちこちいられますし、かくいう86歳のわたしもその一人。歳を取った…
さる9月、ふたつのうれしいことが重なった。勝原文夫君の米寿(88歳)記念の「残照」の発行(9月20日刊)と、中崎力信(りきのぶ)様の洗礼(9月30日)だ。 「残照」では、まず彼の生きた道がしるされる。勝原文夫君は、わたしの国立国会図書館調査局での親…
読書の秋というが、わたしの場合「努力して読んだ本」と「楽しく読んだ本」がある。名作だから、教養のためと、努力して読んだ本は、読破したという記憶は残るが内容は希薄だ。 たとえば、ダンテの「神曲」三篇も努力して読んだから、教会の枢機卿や聖職者が…
わたしは、テレビで「韓流」といわれる、韓国ドラマの現代物は見ないが、その宮廷ドラマに<はまって>いる。<はまった>最初が「チャングムの誓い」。16世紀前半の朝鮮王朝第11代・中宗王(在位1506−1544)に仕えた宮廷女官チャングム(長今)の生涯。これ…
「無教会はしんどい」と言ったのは、週刊「朝日ジャーナル」元編集長の宇佐美承さん。その母上・信子様の葬儀を頼まれた時だ。自宅での小人数の告別だった。母上の妹が矢内原忠雄先生夫人・恵子様だから、もちろんそこには従兄弟の矢内原勝先生夫妻もいられ…
ここかしこに咲く彼岸花と水引草が、庭に赤い彩りを添える。彼岸花は最初球根を植えた。それが思いもしないところに飛び散って咲く。水引草は自生の草だ。それが今年はいたるところに顔を出し乱れ咲いた。色はいずれも赤。しかし咲き方も大きさもまるで違う。…
きょうは「敬老の日」。敬老される「おのおの方、油断めさるな」。人は言う「老い先短い」と。しかし、わたしのように86歳まで生かされてみると「老後はけっこう長い」。ここでいう「老後」とは、80歳以降のことだ。 昭和の初めころは「人生50年」だった。60…
「背負い切れねえ罪科(つみとが)は、その身に重き虎が石」は、「白波五人男」のどんじりの、南郷力丸の台詞(せりふ)だ。むかし「白波五人男」が、唐傘(からかさ)かざして最後の見得を切る、5人のせりふをぜんぶ覚えてしまい、いまだに口から出てくる。…
わたしの家内はくるまも運転しないし、自転車にも乗れない。重いスーパーの買い物は、自転車を走らせるわたしの役目だ。きょうもスーパーでトマトを買うさい、熟し始めた柔らかいものより、皮のしっかりしたのを選んだ。人は物を選ぶとき、とっさに「良いと…
若いころから、数え切れないほど聖書の話を聴いた。しかし、そのほとんどを覚えていない。あんなに息もつまる思いでノートを取り、聴きほれた酒枝義旗先生の聖書の話でも、ほとんど忘れ、すらすら覚えているのはわずかだ。しかし「神さまは下手をなさらない…
さる7月、日本女子サッカー「なでしこジャパン」が、ワールドカップ戦で優勝したとき、チーム全員が、これ以上あけられないほど口をあけて絶叫した。歓喜だ。8月、甲子園での全国高校野球選手権で、一戦、一戦、勝った瞬間、チーム全員がベンチから跳びだし…
きょうは「8・15」。大日本帝国が崩壊した日だ。帝国というのは、たくさんの国々を併合した雄大な国だ。ローマ帝国とか、オスマン帝国、大英帝国のように、国々の上に君臨する帝王の国だ。日本は小国のくせに、背伸びをして「大日本帝国」などと自称していた…
わたしたちの周りに「副」のついた肩書きの方が多い。上のほうでは「副議長」「副総理」「副総裁」「副大臣」。さらに「副総監」「副学長」「副社長」「副会長」「副理事長」「副本部長」「副委員長」「副所長」。さらに「副館長」「副院長」「副部長」「副…
一週間ほどまえの七月二二日(金)、ノルウエーの首都・オスローで起きた連続テロ事件は、ノルウエー人のアンネシュ・ブレイビック容疑者(三二)の犯行とわかりました。彼はイスラム教徒の移民が、ノルウエーの人口の一〇%に達したことを嫌い、それをゆる…
むかし中国の漢字文化の影響を受けた韓国と日本は、知識階級は漢文が読めたが、民衆は自分たちが話す言葉を文字で表現できなかった。たとえば漢字の「海」は、漢字読みにすると、日本では「カイ」、韓国では「ヘー」だ。しかし民衆は「海」のことを、日本で…
暑くなって、半袖のシャツや、半ズボンになると、きょねんまで気づかなかった腕や腿(もも)のしわが、やたらとふえているのに驚く。毎朝やっている腕立て伏せで気づいた。86歳にもなり、筋肉が衰えて皮膚がたるんできたのだ。少し曲げると、まるでさざ波の…
いまの中野区白鷺の家に入ったのは1951年だ。今年の7月でちょうど60年になる。わたしの結婚に備えて父が一軒用意した。この家を買うために旧軽井沢の別荘を処分した。その別荘は、父が洗礼を受けたS.E.ヘーガー先生が、1940年米国へ帰国されるさい、財産処分…
「小さいから大きい」という、形容矛盾の言葉に気づいたのは、わたしが山形県の山奥の基督教独立学園「講師宿泊室」にいたときだ。講演時間は70分と頼まれ、滝川の激しい流れを聞きながら、負けじと声を張り上げ、時間を計って講演のリハーサルをしている最…
「住めば都」、また「住まば都」という古語がある。「住めば都」は、不便な田舎でも住み慣れると離れがたく、都の心地になるということ。「住まば都」は、同じ住むなら便利で住みよい都がいいという意味だ。いずれにせよ都は憧れの地だ。都には大厦高楼(だ…
わたしは文章を書くとかならず妻に見せる。家内は偉そうに「はい、検閲ね」と、老眼鏡をかけなおして文章を読む。誤字や脱字があると、うれしそうに「ここと、ここ」と鉛筆で訂正。「まあ、90点ね」という評価で決まり。家内は検閲官のつもりだが、わたしの…
わたしはもう60年も、山形県の基督教独立学園を外から眺めている。そして、この学園は「あとで利いてくる教育をしている」とおもう。創立者の鈴木弼美初代校長は、「山奥」「少人数」「共同体」「学校がキリスト信仰の母体」という四つのキーワードを心に刻…
ある古い教会の女性信徒から「わたしたちには、若い牧師を育てる責任があります」ということばを聞いた。伝統あるキリスト教会ではそういう気風がある。神学校出たての若い牧師は、初赴任の教会では緊張する。だれしも最初から上手に話せないし書けない。い…