「奇異なる信仰」 内村鑑三の「わが事業」

shirasagikara2015-05-05

いまからちょうど100年まえの1915(大正4)年、内村鑑三が「奇異なる信仰」という短文を書きました。100年たってもその文章が光っています。
「わが事業は、信者をつくることではない。聖書を講じることでもない。霊魂を救うことでもない。わが事業は、イエス・キリストを信じることである。彼にありて、わが事業はすでに済んだのである。われが安らかに人生を楽しむるは、これがためである。われが事業にあせらないのも、またこれがためである。事業、事業とあせる米国宣教師は、余の全然耐ええないところである」
ふつう教会の牧師は、聖書を講じ、キリスト信仰をひろめ、信者をふやし、霊魂を救うのを使命とします。しかし「奇異なことに」内村鑑三はそれを否定するのです。
鑑三は、一番大事なことがわかったのです。それは伝道でも、聖書知識でも、教会活動でもなく、ただ「イエス・キリストを信じつづけること」でした。この一番がわかれば、あとのことはどうでもよくなったのです。この区別がついた鑑三だからこそ、どうでもよいことを、失敗をおそれず、いや、失敗して出来なくても、一番大事なことはもうできているんだからと、悠々と、気楽に、懸命にやりぬいたのです。
「聖書を講じることでない」といいながら聖書を講じまくり、全40巻の「内村鑑三全集」を残しています。「信者を作ることでない」「霊魂を救うことでない」といいつつ、鑑三はどれだけ多彩な人材を日本に供給したことでしょう。人材の「鑑三山脈」は、「漱石山脈」をはるかに越えて雄大といわれます。
内村が、イエス・キリストを、まっすぐに信じ、喜び、安心し、ほっとし、そこから立ち上がり、右手ににぎった福音をかざし、左手の杖に知識・教養・文才をたくわえ、ライオンのように吼(ほ)え、詩人のように歌い、哲人のように憂い、キリスト教の枠を壊し、自由自在、縦横無尽に、わかりやすい、だれの胸にもストンと入ることばで語ったからでないでしょうか。生涯「イエス・キリスト」をまっすぐに信じつづけること。これが人生最大の事業です。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(使徒16・31)<写真はモッコウバラ