1971年5月、安利淑さんは酒枝義旗先生の家をたずねた。韓国で出版された自著の獄中記「死なねばならぬなら死にます」の出版の相談だ。 ご自分で日本語に翻訳して持ち込まれた原稿は400字詰で1529枚。感激家の酒枝先生は「出しましょう」と決意。それを知った…
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