たといそうでなくても

shirasagikara2006-05-20

1971年5月、安利淑さんは酒枝義旗先生の家をたずねた。韓国で出版された自著の獄中記「死なねばならぬなら死にます」の出版の相談だ。
ご自分で日本語に翻訳して持ち込まれた原稿は400字詰で1529枚。感激家の酒枝先生は「出しましょう」と決意。それを知ったわたしは協力を申し出た。
先生が大胆に訂正されたのを、わたしがさらに赤を入れ、1972年春刊行の運びに。しかし出版流通の大手は群小出版と取引きしない。つまり書店に並ばない。ところがこの本は、1972年5月22日の「朝日新聞・読書欄」のトップを飾った。
その書評を読んだ読者から全国の本屋に注文が殺到。本屋は取次ぎに注文。毎日待晨堂に注文が下り、市川さんはそれを取次ぎに届け、本屋から注文主へ逆流。しかし書店の棚には並ばない。
A5判・25字詰×21行×2段組・612頁の大冊を、安さんが「出来るだけ安く」と言われたとかで先生は定価を1200円に設定。これでは取次ぎには8掛けの960円となる。原価すれすれだ。原価の倍が定価の常識だと先生に申してもだめ。酒枝流経済学。かくて「たといそうでなくても」は、2万部も売れながら利益が残らぬ珍しい出版と話題になった。
しかし「たといそうであっても」この本の内容は日本人に強く信仰の姿勢を問いかけた。わたしがたずねた北海道の教会にも、沖縄の離島の教会の本棚にもこれは並んでいた。
「たといそうでなくても、王よ、わたしたちはあなたの神々に仕えず」(ダニエル3・18)
(写真は安利淑の自筆原稿と、酒枝・藤尾の割付けの赤ペン)