サミルジョル(三一節)

shirasagikara2006-03-01

三月一日にはつらい思い出がある。1967年初めて韓国を訪問した年だ。
この日わたしは希望して、ソウルから60キロ南西の京畿道堤岩里に行った。そこは1919年3月1日に始まる朝鮮独立運動のさなか、29名の村の青年男女が教会に閉じ込められ、日本の憲兵に教会ごと焼き殺された現場だ。
夫を殺された田同礼さんと板敷きの教会で会った。宋斗用先生が耳元で通訳された。村落もすべて焼かれた。人も豚も鶏も死んだ。村人は山に逃げた。夫が死んだ若妻が泣いていると憲兵が首を斬った。まるで日本人の代表として裁かれている心地で聞いた。
その後、堤岩教会焼き討ち事件謝罪のため、日本人の教会再建運動が政池仁、高橋三郎先生を中心に始まりわたしも参加。会長は酒枝義旗先生。三浦綾子石森延男ら作家も協力され1968年募金額1000万円を達成し現地に会堂が完成。
その会堂も数年前韓国人の手で再建。付属の記念館に、なぜか尾山令仁牧師とわたしの写真が掲げられていると聞くが、わたしはまだ見ない。
三月一日。この日は韓国人が忘れられない記念日。日本人は何も知らない。知らなくてよいこともあるが、これは日本人が知らなくてはならない日。サミルジョルだ。
「この民の罪をゆるしてください」(民数記14・19)
(写真はソウル中心のパゴダ公園「三一運動記念レリーフ」のひとつ。燃える教会、窓から幼児を差し出す母親。銃剣をかざす日本兵。立つ人物は筆者・2003年)