十二使徒群像「アンデレ」

shirasagikara2010-01-18

わたしの十二使徒群像は上中下の3段にわかれる。上段はペトロとアンデレが並び立ち、ユダが恥ずかしげにうずくまる構図だ。
アンデレは初め、荒野に叫ぶバプテスマのヨハネの弟子であったが、ヨハネがイエスを指差し「見よ、神の子羊」と叫ぶのを聞いてすぐイエスに従った。イエスがアンデレを見つめ「何の用か」(塚本訳)の一言で、あの偉大なバプテスマのヨハネより勝るメシア・キリストと一瞬にして悟った(ヨハネ1章)。そしてすぐ兄貴のペトロを探し出し「メシアに会った」と興奮して語り、兄をイエスに紹介した。つまり、アンデレは求道の志が強く、家族伝道に熱心だったのだ。
それでいてアンデレは、聖書の中では目立たない。発言も少ない。イエスも高い山での変貌とか、ヤイロの娘の復活や、ゲッセマネの祈りなど、大事な場面にペトロ、ヤコブヨハネの三人を連れられたが、アンデレはこの三人とは同じガリラヤ湖の漁師仲間で、ペトロの弟なのに、いつも外された。自分が無視されて怒りやすいのが人の常だが、アンデレは怒らない。むしろ裏方に徹している。会社や教会にこの「裏方の実務家」が必要だ。
たとえば5000人の給食の場面(ヨハネ6章)。アンデレの親友のフィリポが「200デナリオン(200万円)分のパンがあっても足りない」とイエスに返答するのを聞いて、アンデレはすぐ群衆に分け入り「パンをお持ちの方いませんか」と叫び、パン5つと干し魚2匹を探しだす。小さいもの、価値がなさそうに見えるものを拾い上げ、活用する実務家なのだ。イエスはそれを祝して5000人を満腹させる。
アンデレは2つの魚を差し出したが、わたしの群像では背中に6匹の魚を網にからめて背負わせた。じつは最初、アンデレの両手は拝むように向かい合わせた。ところが左手がポキット折れた。しかたなく背中に魚をぶら下げたのだ。6匹はアジア、欧州、アフリカ、南北アメリカ、豪州の6大陸をあらわす。世界をすなどる(漁る)意味だ。そのためニンニクを入れた網を左手に握らせ、肩に掛け、背中に垂らした。おかげでアンデレは胸を張り背中が細く姿勢がよくなった。
アンデレは求道の人。メシアの発見者。伝道熱心な人。寡黙な人。裏方に甘んじ、それに徹した実務家。無視されて怒らない、慕わしい人物だ。(写真・右は天国の鍵を持つペトロ、左は網を握るアンデレ)
「フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行ってイエスに話した」(ヨハネ福音書12・22)