はい、チーズ

正月に子や孫が集まり家族の写真を撮った。誰言うとなく「はい、チーズ」の合図。にっこり笑えということ。しかし「チーズ」の「チー」で、頬の筋肉は上に動き笑い顔になるが、「ズー」で元の木阿弥。だから韓国式に「はい、キムチ」のほうが「チ」で終わり理に叶っている。これは笑顔も努力でつくれるということ。
米国は多人種国家だから、道で他人と眼が合うと、わたしはあなたの敵ではありませんとにっこり笑う。これも努力だ。日本では笑顔の必要がない。
教会でも、礼拝では笑顔でという所がある。冗談じゃない。教会は悲しい心を抱いて行く人もおれば、喜びにあふれて礼拝する人もいる。銀行やデパートの、にこにこ顔に訓練された女性店員じゃあるまいし、教会くらいはありのままの表情でいたい。おのずからなる笑顔と、悲しみをふくんだ真面目な顔でいい。イエスさまの前につくり笑いは似合わない。笑うなら「福音が分かった!」と豪快に笑うんだ。
「そのとき、わたしたちの口に笑いが、舌に喜びの歌が満ちる」(詩篇126・2)