103歳の正気と妄想

shirasagikara2006-01-04

あさ墨をすり、父の歌集から一首を選び、半紙に書いて103歳の母に見せる。「大いなる主の平安のわれにあり何はなくとも喜びとせむ」。字が大きいのと、光にかざすので眼鏡なしにすらすら読める。
窓辺に並べた庭の柿がトロトロの熟柿になり、それをスプンで口にふくませる。一口食べて「ばつぐん(抜群)」と言う。三口ほど食べて「もったいない」と言う。「何が」と聞くと「捨てるともったいない」。
そのあと眼を凝らして「テレビの前に人がいる」「だれもおらん」「男のひとが恥ずかしそうにしている」「一人か」「奥さんと子どもは家にいるらしい」。
「天気がいいから散歩するか」「する」。車椅子に乗せると妹が防寒着を着せる。私と家内で車椅子を押し、家の近くをまわる。歩いて2、3分のルーテル武蔵野教会の桜の大木の前で写真を撮った。103歳の母の、正気と妄想の一日が過ぎる。
「安らかで静かな一生」(第1テモテ2・2 口語訳)