元標教会

けさの「朝日新聞」に、日本橋の上を走る高速道路を取り払い、青空を取り戻す計画を国交省が立て始めたとある。ソウルでも昨年、清渓路(チョンゲロ)という川を埋め立てて高速道路にしたのを、すでに取り払い散歩みちのある川に戻した。
この「お江戸日本橋」は全日本の道路網の起点で「道路元標」の標識が立つ。
日本の敗戦後、その元標の下で日曜日のあさ、路傍伝道をする牧師がいた。中国から引き上げ、会堂を持たなかったその牧師は、雨が降ろうと風が吹こうと、晴れても曇っても、その橋に立った。いつしか毎週そこに集う人々がふえ、やがて教会に成長した。
その牧師の名は志村卯三郎。西荻窪の松庵の自宅を教会にして「元標教会」と名づけた。わたしも一度、その近くに住む佐藤仁君に誘われて、教会の伝道集会に出た。熱気に満ちた集会だった。1948年のころだ。
日本橋と聞くと、「元標教会」に象徴される熱気あふれる当時の日本を思い出す。
「み言葉を宣べ伝えなさい。折りが良くても悪くても」(第2テモテ4・2)