靖国問題

きょう国立国会図書館調査局文教調査室に招かれた。わたしが元いたところだ。それは30年前の退職時につくった「靖国神社問題資料集」につき意見を求められたからだ。
この古い資料はまだねうちがあるらしく、昨年初夏、NHKや毎日新聞社からも取材をうけた。わが家まで来た毎日の記者は、資料を全部ばらしてコピーしていた。
靖国問題」とは、日本国政府靖国神社とどうかかわるかという問題だ。小泉総理は「心の問題」という。もしそうならば、深夜でもよい。一人タクシーを走らせ、社頭で拝むがいい。これはまだゆるせる。しかし供をひきつれ、公用車で、白昼「総理のお出まし」とばかりの参拝は憲法違反。それにA級戦犯合祀問題が抜きがたい棘となる。
一国のトップの第一の責務は、国民を飢えさせないこと。第二に国民の安全を守ること。第三は近隣諸国と友好関係を築くことだ。総理はこの第三の責務で大失敗した。
信教の自由という問題に、日本人はもっと敏感にならねばと思う。
「神はわたしたちを救い出すことができます。たといそうでなくても、わたしたちは、あなたの神々に仕えず、金の像を拝みません」(ダニエル書3・18)