「使い捨て」の悲しみと喜び

元旦から、いつも使う「使い捨て」剃刀を新しいのに替えた。わたしは4、5年前からこの「使い捨て」を愛用しているが、これがけっこう優れもの。もう19日だ。
むかしわたしが日本陸軍の船舶隊に入った時、「貴様たちは〜!バシー海峡の〜!埋め立て要員である〜!」との部隊長の訓示に、がっかりした記憶がある。台湾とフィリピンの間のその海峡は、米国潜水艦が日本輸送船団を餌食にしていた。つまり「使い捨て」要員だ。
むかしユダヤでは、徴税人や遊女は「罪人」だとコンマ以下扱いにされた。こんな連中はいなくて結構、いやせいせいすると、宗教熱心な人から見られた。
そこへイエスがあらわれた。「使い捨て」の「コンマ以下」に熱い視線を向けながら。イエスは「わたしは君たちを探しに来た」「君たちに値打ちがある」と慰めの福音を語った。コンマ以下と人から見られていた人々は、どんなにうれしかったか。
朝、ひげを剃りながら、使い捨てにされる身になって、その悲しみと喜びを思う。
「見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか」(マタイ15・4)