死後の備え

昨年、Mさんが交通事故で急逝した。美容師、独身、66歳。
経営する美容院に、初めて来た一人の客が、「与えられて」「備えられて」と受身のことばが多いので、「クリスチャンですか」と聞き、「日曜日以外に聖書の話を聞けますか」とたずね、わたしが話していた夜の集会に来た。乾いた砂が水を吸うようにキリストを深く信じ、やがて洗礼を受けた。
献体を希望し、死後遺体は近くの大学病院に納められた。また自分一人キリスト信者になったので墓のことも配慮し、延命治療は辞退と家族に語り、そうなった。
旧臘、遺族が遺品を整理していると指定献金の遺言が出てきた。NGO活動団体、キリスト教の学校、教会、個人の名前と金額がしるされていた。遺族はそれを実行。
彼女も、まさかこれほど早く召されるとは、思いもしなかったに違いない。それだけに「死後の備え」をこんなにきちんとしていたとは驚き。かえりみてわが備えはいかに。
「喜んで与える人を、神は愛してくださる」(第2コリント9・7)