会話はピンポン

世話をしたお見合いで、会話が弾まないと男性の報告。わたしは女性を呼んで注意。
「会話はピンポンだ。玉が来たら打ち返せ」。「この花きれいですね。はいきれいです。この絵好きですか。はい好きです。これじゃ受けた玉を全部ポケットにしまっている。はい好きといったあと、あなたのお好きな絵はと玉を打ち返すのだ」。彼女は話し方教室にも通いめでたく結婚。
結婚して出産すると、ママは話せぬ赤ちゃんに話しかける。会話は人類の宝、喜びだ。
それが今減っている。コンビニでも、スーパーでも、レジで金を払えば無言ですむ。会社や官庁でも、パソコンに上司から命令が届き、近くの同僚とも無言でメールの時代。夫婦、親子のピンポン玉の弾んだ会話は心地よいのに、帰宅すると「風呂、めし、寝る」。
英語の新約聖書で、福音書のイエスの発言を赤い活字で印刷したのがある。いかにイエスが人々に話しかけたかがわかる。意味のわからぬ赤ちゃんにママが語りかけるように、主は深い意味のわからぬ弟子たちにも語られる。
聞く耳のある者は聞け」(マルコ4・9)