光が来た

わが家のパソコンが光ケーブルにつながった。これまでADSLという電話回線だったが、NTTのBフレッツという細い光ケーブルに、きょうから変わった。
どこが違うと聞くと、安定して早いという。43メガヘルツで前より14倍早いそうだ。じつはブログを始めて間もなくADSLのモデム(接続器)が動かなくなり、光に替えることになった。モデムが故障した時は「頼みますよ、つながってくれよ」と、祈るような気持ち。いやその祈りがプツンと切れてがっかりすることもしばしば。これで安心。
しかし、キリストとの祈りは光より速く、その救いの安定度は完璧。安定というのは、いつでも安心して頼れるということ。その安定がさっと届けば言うことなし。
キリストの救いがなぜ速いか。キリストの「愛」の手の早さだ。「先生、目が見えるようになりたいのです」。「行け、あなたの信仰があなたを救った」。<盲人は、すぐ見えるようになり、イエスに従った>と、マルコ福音書10章51節にある愛の早さだ。
「神は言われた。『光あれ』。こうして、光があった」(創世記1章3節)