日本海美人

shirasagikara2006-02-06

島根県の愛真高校に講演で出かけた時、海岸の砂浜に漂着したおびただしいハングル文字のゴミに驚いた。朝鮮半島から日本へは、西からの風でゴミですらすぐに来るのだ。
朝鮮から船を出して亡命や漂流すれば、まず最初にたどり着くのが「出雲半島」。つぎは「丹後半島」、さらに「能登半島」、遠くは「佐渡島」、「男鹿半島」。
一説ではこれらの半島に、たとい少数でも、大陸からつぎつぎ先進文化を持つ人々が来住・混血したので「出雲美人」「京美人」「加賀美人」「新潟美人」「秋田美人」が生まれたという。
これは何を物語るのか。異国のすぐれた文化を吸収すれば、さらなら美点を生み出せるということだ。アジア大陸の行き止りの日本は、北から西から南から、人間も文化も受け入れて濃く深い文化を手にした。鎖国の時代でも、中国、朝鮮、オランダに窓を開いた。
中国文明も、インド仏教も、西洋文物も取り入れた日本で、いまイエス・キリストの福音を信じたクリスチャンが、たとい少数でも喜び生きるなら、深い影響を及ぼすということ。
「わたしは、弱いときにこそ強い」(第2コリント12・10)

(写真は愛真高校にて。2002年10月)