内村鑑三の独創性

平信徒伝道の無教会主義を提唱した内村鑑三は、日本で独創的な伝道を始めた。教会のように会堂を建てず会場を借り、会衆に献金を求めず均一の聴講料とした。また信仰雑誌を発行して購読料を収入とした。その内村の弟子は同じ伝道スタイルをまねた。
しかし雑誌を独力で刊行できる能力は限られるし、たといその力はあっても、均一の聴講料や雑誌購読料での生活は、会衆や読者が少ない場合、一部の大学教授を兼ねての伝道を除いて生活を圧迫した。ある伝道者の妻は言った「振替に誌代が入るとぱっと出します」。
教会には親子二代、三代の牧師がいるが、無教会に二代目伝道者が育たなかったのは、そのことと無関係ではあるまい。内村には千葉と栃木と新潟に強力なパトロンがいた。
しかし、まことの伝道者らしい伝道者、キリストのみにより頼む、使徒的情熱に満ちた無垢の独立伝道者が数多く輩出した。いま内村から数えて三代目の信徒は、有力な伝道者がいなくとも、かえって内村の目指した平信徒伝道の姿をとり始めたといえよう。
「かれらの<家の教会>の人々にも、よろしく」(ローマ16・5)   
内村鑑三 1861〜1930 思想家 伝道者)