鈴木弼美の独創性

shirasagikara2006-02-24

鈴木弼美(すけよし)は内村の弟子であったが、ほかの弟子たちが内村方式の伝道をしたのとはちがい、内村が「他人のまねをしない」という「独創性」をまねた。
彼は教会でなく、学校を信仰の母体にする伝道を考えた。その学校も山奥に創った。しかも1学年25名の少人数に決めた。また教師の報酬は校長も新任教師も一律にし、それもきわめて低い水準にした。それが1948年創立の山形県小国郷の「基督教独立学園高校」だ。
人々は山奥では生徒が集まらない。報酬が低いと良い先生が来ない。生徒が少ないと学校経営が成り立たないと笑った。これが常識だ。
しかし弼美は反常識を貫きかえって現実を動かした。賛同する志の高いクリスチャン教師が加わり、生徒は県内外から集まった。弼美が私財を投じ、援助も集まり学園は存続。
弼美は高校にパイプオルガンを備え、山奥で「世界一の詩を読み、世界一の絵画を眺め、世界一の音楽を聴き、世界一の音楽を弾く」生活を楽しんだ。学園はこの春56期生が巣立つ。
「主はわたしの力、わたしの盾、わたしの心は主に依り頼みます」(詩篇28・7)
 (鈴木弼美 1899〜1990 内村が悲願とした山形県小国郷伝道の志を継ぎ、58年間伝道と教育に生涯を捧げた。このホームページの「人物短評」にも掲載)