もう天国が近い近い

shirasagikara2006-02-26

日曜の朝は母と家内とわたしの三人で家庭礼拝。家内が父の愛唱賛美歌をえらび礼拝の聖句を読む。わたしが祈り、パンをさき、ぶどう酒を三人でいただく。聖書の話を10分ほどわたしがする。聞いている二人は伝道者の妻だ。耳は肥えている。小人数とはいえいいかげんな話はできない。最後に母か家内が祈り賛美歌でおわる。
ふつかほど前に母が夢を見た。「明治神宮の境内で伝道していた」「聞き手は」「聴衆がいっぱい」「それから」「神社の人がキリスト教の話はしないでと言った」「それで」「足が痛んだが、そろそろ石の橋まで帰った」。103歳の夢にしては気合が入っている。多分父が若いとき、母とわたしをつれて神社で伝道した記憶がよみがえったのかも。
このごろ母は夜も昼もベッドやソファアに横たわる。うつらうつらし妄想が浮かび、家に帰りたいと言ったり、トイレで「お薄をどうぞ」と独り言で茶道の説明をしている。
「お母さんどう」「天国行きが近い近い」「どのくらい」「このくらい」と指二本を出す。
「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ4・17)
(写真は「召される日は、このくらい近い」と、親指と人差し指を近づけている)