伝道者殺すに刀はいらぬ

偉い伝道者なら、おしりをきゅっとつねれば、つぎつぎ聖書の話は出てくるものと思っていた。しかし自分が伝道者になると、苦しみぬいてやっと一つの話ができる。
沖縄のある島で日曜説教をたのまれた。午後島の北の伝道所へそこの牧師と出かけた。「困るんですよね。午前の礼拝のあと、北の伝道所へ行こうとするとついて来る者がいる。午前と同じ話はできないし」と車の中で嘆かれた。
わたしも経験がある。都内で水、木、金、土と場所を替えて集会をつづけていた。うち木金土の三つに出ていた方が全部出たいと言い出し、わたしは断った。その方はきょとんとされた。
ある方が「伝道者殺すに刀はいらぬ。集会全部出ればよい」と言ったが、その通り。
歌手の追っかけファンがいる。九州や札幌まで公演を追いかける。歌手の場合は同じ歌でもファンは熱狂する。伝道者はそうはゆかない。もちろん「同じ話をするのを恐れるな」ともいう。巡回伝道者ならそれでもすむ。わたしの父は「同じ話を同じ場所で三年はしない」と自戒した。
ただ伝道者は必ず話す内容が与えられる喜びの体験を知った者だ。
「み言葉が開かれると光が射し出で、無知な者にも理解を与えます」(詩篇119・130)