同じはなし

「きょうと同じ話をもう一度してください」と頼まれたことが三度ある。
ふつう聖書の集会では同じ話は禁物だ。しかし考えてみれば、福音はイエス・キリストの十字架と復活に焦点をしぼり、手をかえ品をかえて2000年も同じ話をしているだけだ。
使徒パウロが、いまのトルコのピシディアのアンティオキアで伝道したさい「同じ話をしてくれ」と頼まれた。同じ話を頼むのは、よほど心に刻んでおきたい話だ。パウロは70行もイスラエルの信仰を語り、最後にイエスを信ぜよと決断を迫った。
また一度聞いただけで、生涯忘れられない話もある。わたしの父は、白洋舎の五十嵐健治社長が話された聖書のことばを、震える感動をもって聞き、生涯に何度も集会でその聖書の話を暗誦して聞かせた。感動をもって聞いた話は、感動をもって語りつがれ、また人々に感動を与えるのだ。それが福音の物語りだ。同じ内容でも何度も聞きたい話がある。
「われに聞かしめよ/主の物語り/世にもたぐいなく/よき物語り」(聖歌444)。
「人々は次ぎの安息日にも同じことを話してくれるようにと頼んだ」(使徒13・42)