103歳・夕あり朝あり

shirasagikara2006-03-07

3月5日(日)。日曜礼拝で聖書の話を聞いた母は「よく分かりました」とわたしに礼。
そのあと「神さまが、何かみんなをびっくりさせようと、考えていられるらしい」という。「どんなこと」「わたしの天国行きは近いというていたが、あと3年延ばされるらしい」「そりゃめでたい。きょうは天気もいいし、暖かい。待晨集会まで散歩しよう」「そやな」。
わたしが車椅子を押して、5分ほどの待晨集会まで家内と妹と歩く。午後の婦人会から、母を知る方々が出てこられ母と握手。どなたも103歳の手を握るのは初めての経験。
帰宅して車椅子からソファアに移すのがたいへん。やっと座った母は「命がけや」と肩で息をする。母の面倒を見ている妹は朝から晩までこの介護。腰も痛めた。
ソファアに寝ながら、窓の外で魚を干す人がいるとか、勝手に立ち上がり、きのうも部屋で2度転んだ。寝る段になると自分の家へ帰りたいとむずかる。こうして夜が更ける。
高齢社会の日本で、人はどう老いるかを身近な手本から日々学ぶ。あすはわが身。
「主を畏れれば長寿を得る」(箴言10・27)
(写真の最前列・左が藤尾貞子、右が酒枝現子夫人。後ろは待晨会堂)