死者への福音

姫路の妙行寺の和尚さんが、本堂で法事の読経を一生懸命つづけていた。その後ろで村上とみさんが、亡くなった方のことを一生懸命イエスさまに祈っていた。「主さま、あの方はあなたを知らずに死にましたが、どうぞあわれんでください」と。
そのとき、和尚さんが急に読経をやめて後ろを振り返り、村上さんに「あんさん、何を祈っていなさる」と聞いた。「へえ、イエスさまに祈っています」と答えた。「それで分かった。何か白いものが前を動いて、読経に力が入らん」と言われたという。
「うれしかったですわ」と、村上さんは笑顔で話してくれた。皆の前で。何度も。
妙行寺の和尚さんは、キリスト信者のわたしの父とも仲がよく、わたしも小学生のときそのお寺で習字をならい、足がしびれて転び女学生に笑われた。その和尚さんは、のち本山の偉いお方になられたと聞いた。村上さんの祈りに気づいたとは、さすがの人物。
エスさまは、イエスを信じないで死んだ者にも、愛のまなざしを向けられるのだ。
「死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、彼らが、肉において裁かれて死んだようでも、神との関係で、霊において生きるようになるためなのです」(第1ペトロ4・6)