かゆいところに手が届く

歳を取ると皮膚が乾くのか肌がかゆくなる。湯につかって足のすねをかくと、とても気持ちいい。右足をかいていたら、左もかゆくなる。左右いっしょにかいていたら、足の甲がかゆくなる。どんどんかゆみが逃げてゆく。かいて、かいて、かきむしると、気が遠くなるほど気持ちいい。
「孫の手」という便利なものがある。わたしは伝道旅行にも、孫の手の柄を少し切ってリュックに忍ばせた。背中のまん中あたりがこれでかける。
北朝鮮の民話に、七人の男子を育てた寡婦が、夜、となり村の老人の家へ川を渡り忍んでゆく。息子があとをつけると、老人に背中をかいてもらっているのを見た。
七人の息子は母も女だったと悟り、川を渡りやすいようにと流れに七つの飛び石を置いた。それが北斗七星になったというお話。
「かゆいところに手が届く」ということばがある。細かいことにも気を配って手落ちがないことだ。教会にもこの牧会的配慮が欠かせない。イエスは38年病気の人に「よくなりたいか」とたずねる。その声は、かゆがっているのにだれもかいてくれぬ者への「孫の手」。
「ヨブは灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしった」(ヨブ記2・8)