高い道具は使わにゃ損、ソン

デパートでひげを切る鋏を買った。ゾーリンゲン製で長さ9センチ。刃の部分は6センチ。それが6000円。値段を知って同行の女性は驚きの声をあげた。「高〜い!」。1978年春のことだ。
その年、初めてイスラエル旅行をした。朝ホテルでひげを剃るとき、きらきら輝くガリラヤ湖が見えた。その瞬間、感動で剃刀の手が止まった。以来髭をたくわえている。帰国してすぐ髭切り用に6000円の小鋏を買った。もう28年になる。
しかし高い道具も使えば安い。6000円の道具を10年使えば1年600円。20年使えば1年300円。まあ20年は使うだろうと考えて買った。ところがもう28年。すると年に215円だ。「高い道具は使わにゃ損、ソン」。
キリストの十字架という目の玉の飛び出る高価な宝物を、タダでいただいたのがキリスト信仰だ。毎日使わないと宝の持ち腐れ。使うとは信仰を働かせること。働かせるとは信仰の目で周りをながめ、自分の力に応分の活動をするのだ。すると信仰はさびない。「使わぬ鍵はさびる」。
「主から分け与えられた分に応じ、それぞれ神に召されたときの身分のまま歩みなさい」(1コリント7・17)