桜咲く。「初めまして」「さようなら」

shirasagikara2006-03-29

きのう、きょう、東京の桜が不意打ちのようにいっせいに咲いた。
桜は華やかな木で、ぱっと咲くと、山でも野でも遠くから桜とわかる。大きな樹でも花が咲くまではまったく気づかない。最近、大きな文学賞を受けた方が身近から出て、そういう方だったのかと驚いた。黙々と仕事をして、何か結果が出るとその人の存在が輝く。桜もそうだ。
どうして日本人はこんなに桜を愛するのか。「花見」といえば桜見物のこと。ほかの花には使わない。しかしあと1週間で桜は散り敷く。この花期が短いことが日本人を桜に熱中させるのかもしれない。「咲く美」と「散る美」の切迫感を日本人はいとおしむのだ。
わたしたちも「初めまして」というときと、これが最後の「さようなら」というとき、特別な感情を覚える。桜はこの二つが劇的に近いのだ。しかもぱ〜っと派手だ。だから感動が深い。
キリストを信じた初めの心と、これが人生最後の礼拝という思い。この「はじめ」と「おわり」が結びついた礼拝が理想的な姿かも知れない。桜の花のような礼拝だ。
「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」(イザヤ40・8)
(写真は、わが家の隣りの旧ルーテル神学校・現白鷺ハイムの桜)