酒枝義旗先生とわたし

shirasagikara2006-03-30

きょうは酒枝義旗(さかえだ・よしたか)先生の25回目の命日。
1948年1月、初めて酒枝先生の鷺宮のお宅をたずねた。23歳だった。まさか81歳になって、その恵みの出会いを震える感謝で主に申し上げるとは思いもしなかった。
ただ聖書の話が聴きたかった。そして聴けた。息もつまる話だった。1時間あまり全身を耳にして聴いた。話が終わるとほとんどそらんじていた。帰り路は走っていた。うれしくて聖書を空に放り上げ受けては走った。翌日の月曜から次ぎの日曜を待った。
そして10年、先生の膝下で薫陶を受けた。父の上京で別の集会に移った。そこですばらしい話を聴いた者の不幸を知った。しかしどんな集会も教えられる長所はある。
ただ聖書の読み方、つかみ方、福音の中心をにぎり、それ以外から自由になった生き方は酒枝先生からだ。わたしの著書の「胸が熱くなるような」「ほっとしなけりゃ福音じゃない」「ぶらんこに乗ったパウロ」「いや、喜びです」。その題名も内容もすべて先生と深く結びつく。キリストに触れて胸は熱くなり、ほっとし、自由のぶらんこをこぎ、喜び勇む。主よ感謝です。人生の師と出会えたことを。
「神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰をみならいなさい」(ヘブライ13・7)

(酒枝義旗 1898−1981 83歳 早稲田大学政治経済学部教授 このホームページの「人物短評」欄に酒枝先生につき二度掲載)