天父信心耶蘇基督

黄色い菜種の花咲く春の四国路は、八十八カ所をまわる白い遍路姿がよく似合います。
その遍路路に沿う徳島県・阿波答島の郷士・木富訥也は、明治維新のあと警察署に勤めましたが、自由民権運動に心を寄せていました。ところが土佐自由党の幹部が阿波で捕らえられて江戸送りとなり、その責任者にされたのです。唐丸籠というニワトリを入れる竹カゴに罪人を入れて運びました。しかし道中、自由党の志士が差し入れにくるのを黙認したのを密告され、江戸到着と同時に閉門蟄居処分を受けます。
彼は閉門蟄居中、何か読み応えのある分厚い本はないかと本屋に聞くと、漢文(中国語)訳の聖書をすすめられました。阿波に帰郷後、裏山に結んだ庵で、その漢訳新約聖書を読みふけったのです、時々巡査が登ってきて「いるか!」と怒鳴ると、「いるぞ!」と答える生活でした。そのうち翻然とキリスト信仰に目覚めたのです。牧師なく、教会なく、キリスト信徒なしに、「聖書からの入信」でした。
木富訥也は、キリストを信じたあと、家中の仏像も神社のお札もすてました。また家族を集め毎日曜日礼拝を始めたのです。漢訳聖書に最後の晩餐を「聖餅・聖酒」とあるので、パンのかわりに毎週餅をつきました。柔らかくないとちぎれぬからです。またブドウ酒でなく日本酒を飲みました。村人は「木富のだんなは貧乏するぜよ、毎週餅食うて酒飲みよる」と笑いました。
家族は木富訥也にたずねました。「お遍路さんは『南無大師遍照金剛』の八文字を唱えてまわります。わたしたちはどう唱えるのですか」。そこで彼は「天父信心耶蘇基督」の八文字を考えたのです。家族一同は説教もない礼拝で、「てんぷしんじんやそきとく」と、両手をすり合わせ、心ゆくまで唱えたそうです。
彼が本物のキリスト教なるものを知ったのは、「不思議なヤソ信者がいる」とのうわさを聞いて、徳島から訪ねてきた宣教師と出合ってのことでした。
わたしは訥也の孫にあたる河辺順子、林寛さまのお供をして、訥也の庵跡の裏山に登り、その墓石を撫ぜ往時をしのびました。「聖書を手引きしてくれる人がなければ、どうしてわかりましょう」(使徒八・三一)




黄色い菜種の花咲く春の四国路は、白い遍路姿がよく似合う。
その遍路路に沿う徳島県・阿波答島の郷士・木富訥也は、明治初年、自由民権に加担した罪で閉門蟄居(ちっきょ)となった。裏山に結んだ庵で漢訳新約聖書を読みふけるうち、翻然とキリスト信仰に目覚める。
仏像も神社のお札もすて、家族を集め毎日曜日礼拝を始めた。漢訳聖書に「聖餅・聖酒」とあるので、パンのかわりに毎週餅をついた。柔らかくないとちぎれぬからだ。またブドウ酒でなく日本酒を飲んだ。村人は「木富のだんなは貧乏するぜよ、毎週餅食うて酒飲みよる」と笑った。
お遍路さんは「南無大師遍照金剛」の8文字を唱えて廻る。彼は家族にどう祈るのかと聞かれ「天父信心耶蘇基督」の8文字を考えた。家族一同は説教もない礼拝で、心ゆくまで「てんぷしんじんやそきとく」と、両手をすり合わせて唱えたという。
彼が教会なるものを知ったのは、徳島から来た宣教師と出合ってのことであった。
わたしは訥也の孫にあたる河辺順子、林寛様のお供をして、訥也の庵跡の裏山に登り、その墓石を撫ぜ、往時をしのんだ。 お二人とも、もう天に召された。
「聖書を手引きしてくれる人がなければ、どうしてわかりましょう」(使徒8・31)