歳をとっての街なか暮らし

一昨年、四国西南端の足摺岬から松山までバス旅行をした。道路も民家もりっぱ。今は日本中どこも生活スタイルは東京と同じ。土地が広いだけ豊かでゆったりしている。しかし東京に家があり、住みなれた者は、いまさら田舎に移れない。
東京を離れ、理想的なケアつき老人ホームに入られたご夫婦が、都心の同じ系列の施設に転居希望と最近聞いた。人は住みなれた場所がいいのだ。
米国フィラデルフィアへ最初に行ったとき、日本人教会はユダヤキリスト教会を午後から借りて礼拝。それが街の真ん中、また有名な美術館もすぐ。その教会の裏手が老人ホームと聞き驚いた。一方は商店街へ一方は美術館へ出口があり、また地下鉄やバスも歩いてすぐ。これが欧米の流れらしい。日本でも街なかの「グループ・ホーム」が増えた。
わたしも足腰が弱り車のハンドルも手放した老年の今、ついの住みかは、住みなれて便利な東京と思い定めている。「住めば都」というが「住むしかない都」だ。
「主に従う人の住みかには祝福がある」(箴言3・33)