糸杉の墓

shirasagikara2006-04-11

きのう家内と藤尾家の墓参りに多磨霊園へ行った。そこにフィリッピンで戦死した父の弟・彰と、父・英二郎と、父の母・きぬが入っている。
花屋が「少し前なら」と桜の盛りを惜しんでくれたが、それでも名残の花は咲いていた。
藤尾家の墓石は小さいのに糸杉が大きく伸びている。聖地旅行から帰った友人に、糸杉の大きな松かさをもらい、その種から育て墓へ移植した。それがまっすぐにそびえて遠くからも見える。「藤尾さんの墓は」と聞かれたら「糸杉の墓」と教えられそう。
そこから歩いて10歩で、あの枡本うめ子・忠雄先生の墓が、50歩ほどで賀川豊彦先生の松沢教会墓地がある。39万坪の多磨霊園でこの隣り合わせは奇跡に近い。
墓をつくるのは人間だけだ。その場所で死んだ先祖を思い出すのだ。アブラハムヤコブもヨセフまで、先祖の墓入りを熱望した。
しかしキリストは復活しその墓は空だった。だからキリスト信者は墓は仮りのものと心得、永遠のものとは見ない。じじつピラミッドは崩れ、古墳は荒らされる。墓参りは死んだ者を記念しつつ、復活されたキリストへの希望へとつながってゆく。
「あの方は復活なさって墓にはおられない」(マルコ16・6)