読みたいな よし読もう もう読めない

「読みたいな」と思ってたくさん本を買った。また図書館で借りた。
「よし読もう」と思って読んだ本はどれくらいか。参考図書は別に、1年20冊読んだとして50年で1000冊。万巻の書といわれるなかで、たかが知れている。それに読むはしから内容を忘れている本も多い。
「読みたい」と思いつつ、読まないまま過ぎた本もたくさんある。いつか読もうと思った内外の文学全集など、年をとると活字が小さく全部は「もう読めない」。
「読みたい」は願望。「読もう」は意思。「読めない」は断念。
しかしくり返して読み、ある程度内容を覚えている本もある。その中で断然読みつづけているのは聖書だけだ。「よし読もう」と決心しないで楽しく読める本だ。
わたしが伝道者になったとき大きな旧新訳聖書を7人の女性から贈られた。1976年7月だ。その聖書は10年間に2回皮表紙が剥落して2回再製本した。1991年から新共同訳聖書に替えた。ギリシア語ネストレ20版も2回表紙が剥落し2回再製本。その後は26版。製本屋が自分の製本がこわれて返ってきたのは初めてと2回目は無料でやってくれた。
聖書は毎日読みつづけてもあきない不思議な本だ。たぶん「もう読めない」日は召される日だ。
「主の書に尋ね求め、読んでみよ」(イザヤ34・16)