100円ショップ

商店街を歩いていると、家内が「ちょっと待って」と100円ショプに吸い込まれる。しばらくして「これが100円よ」と喜ぶ。作った人に申し訳ないような値段だ。
また大規模100円書店もある。安売りチエーン店では消費税こみ105円の大量販売。広いスペースにぎっしりきれいな105円本がならぶ。
コミックの105円はゆるせるが、ふつうの本が105円とはつらい。たとえば幻冬社の「豊臣秀吉の経済塾」が2005年3月に定価1500円で出て、まだ1年というのに105円だ。1冊の本を書くのにどれだけ著者は苦心するか、その知的生産に失礼な値段だ。
岩波新書、ジュニア新書、講談社新書をはじめ、文庫本も105円。その105円コミックすら若者は立ち読みに熱中。広い売り場にコミック売り場以外は客もまばらで、あまり売れていないのが救いであった。
しかし100円ショップは、日本人の生活の主流にはなりえない。人はほんとうに値打ちのあるものに金を惜しまないからだ。
キリストの救いは値のつけられぬ高価なものだが、キリストはただでくださるという。これは買いたたきの安売りではない。値打ちそのままを値引きなしにいただけるのだ。
「キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(ローマ3・24)