すずらんクリスチャン

shirasagikara2006-04-22

庭のすずらんが咲き始めた。じつに可憐。
株分けをしていただき、もう10年はたつが、「すずらんは雑草だ」と感心するほど思わぬ先まで延びてゆく。4月の始めには気配がなかったのに、この10日くらいで、つんつん緑の葉が伸び、あっという間に花をつけ始めた。
花がつく茎は、二枚の緑の葉が向き合うまん中には伸びない。根はひとつだのに、幅広の二枚葉がひろがるうしろに花茎は立つ。その茎がじつに細い。その細い茎に10ばかり白い花を咲かせる。さきっぽの花はまだ薄緑だ。それがすべて「触れなば落ちん」の風情の小花を、鈴のようにうつむきかげんにつける。たいてい花は太陽にむかって開くのに逆だ。
いつも思うが、すずらんはあるべきクリスチャンの一つの姿だ。向かい会う二枚葉は祈りの手。それに寄り添い支えられる細い茎のような信仰。しかし一生懸命小さい花は咲かせる。それも謙虚にうつむいて。だがすずらんの気品、清らかさは群を抜く。それに踏まれても雑草のようにまた根が延びる。弱そうで強いのだ。白い花が終わると、忘れたころに真っ赤な実をつけるその奥ゆかしさ。それが鈴蘭。
「野の花がどのように育つのか、注意してみなさい」(マタイ6・28)