犬の散歩

朝はやく犬を散歩させている人がいる。もちろん夕方も多い。犬の運動のためだが、人間の健康にもよいのだろう。中年の女性が小犬にかわいいドレスを着せて綱を握っている。なかには犬同士が仲良く嗅ぎあって、飼い主同士も話しこんでいたりする。
どちらかといえば部屋で飼う小犬が多いが、びっくりするような大きな犬もいる。「巨き犬綱ひく人みな位負け」。巨犬に引っ張られている人より犬がりっぱに見える。
犬が塀にオシッコをかけると、シュシュとペットボトルから噴霧器で消臭水をかける。まただれもが手に糞をすくい入れる小道具を持っている。道に犬の糞はない。
たしかに街は清潔だが犬は可愛そう。いつか韓国の地方都市で自由に犬が駆けまわる姿に「強健」ということばを連想した。東京で見かける犬は「ひ弱」だ。
ところで犬ほど多種多様な動物はいない。象は象、虎も1種だ。それにこんなに忠実な生き物もいない。そして一番の飼い主の命令に従う。忍耐強くタロー、ジローのように南極に残って生き延びた。それに賢い。盲導犬、警察犬、災害救助犬、まさに万能選手。
並みのクリスチャンではかなわない。その信頼、その忠実、その忍耐、その賢さ。散歩くらいさせなきゃ。
「どれほどわたしに仕えてくれたか、あなたがだれよりもよく知っている」(第2テモテ1・18)