絶句するバイオリン

shirasagikara2006-04-29

きのう横浜・本牧のバイオリン製作者・中村良樹さんが、修理に預けていたバイオリンを持って来宅、103歳の母の枕元を見舞ってくださった。
その良樹さんの家庭集会に、私は1982年から12年間毎月うかがった。その前10年近く父が集会をしていた。そこで良樹、安樹、若樹の三兄弟夫妻と妹のくららさん、それに小さいお子さんも全員父から受洗した。
良樹さんは若い日イタリアのクレモナで修行して、バイオリン製作の大賞をもらい帰国。近年はその作品コンクールの審査員をクレモナでつとめたバイオリンづくりの名手。
私が集会を辞任した1994年12月4日。集会の送別会で、良樹さんが新しいバイオリンを持ち出し「f 字孔をごらんください」という。中を透かしてみると「Yoshiki Nakamura/per Masahito Fugio/Fatto in Hon Moku/Anno 1994」と手書きされている。
わたしは絶句した。わたしはバイオリンが弾けない。それを百も承知でこれを作ってくださっていたのだ。どうしてわたしにと驚く。
キリストの恵みがわかったとき、わたしたちは絶句する。どうしてわたしをと。
そのバイオリンで「バッハ・パルティー組曲 サラバント」を良樹さんが父の遺影の前で弾かれた。聴衆は家内とわたし。のどかな春の午後だった。
「なんという恵み、なんという祝福」(詩篇133・1)