空を泳ぐさかな

「鯉幟日本男児ここにあり」。きょうは端午の節句。5月5日、子どもの日だ。
わたしの娘が、米国で初孫の男子を産んだとき、日本から鯉のぼりを送った。それを庭の芝生に立てると、ご近所の方々が「これは何か」とたずねたという。
大空に魚を泳がせる発想は、じつに大胆奇抜な日本人のアイディアだ。驚くらしい。
娘は「鯉は清流でも池や沼地でも生きられる強い魚。中国の龍門滝という急流を遡ってドラゴンになった伝説があり、人生を切り開いてほしい願いをこめる」と、説明書どおり答えたそうな。
その鯉のぼりが、勢いよく空を泳ぐさまは、見ていて元気がでる。鯉のぼりが空を泳げるのは風を吸いこむからだ。そのため鯉の口はこれ以上無理というほど開いている。またしっぽから風が抜ける作りだ。
聖書では「風」のことも、「霊」のことも、「プニュウマ」と言う。鯉のぼりが風を受けて吐き出せなければ、大空を泳げないように、キリスト信者も霊を吸い込まないと自由に働けない。しかも恵みを受けるだけでなく、ひろく伝えてゆくのだ。そうだ、これ以上無理というほど口を開いて霊を受け、まさかという空を泳ぐのだ。そういえば魚はギリシア語で「イクトウス」。イエス・キリスト・神・子・救いを示す暗号だ。
「われ死なば鯉幟をば立てよかし凱旋したるしるしばかりに」(杉山義次)
「プニュウマ(風)は思いのままに吹く。、、プニュウマ(霊)から生まれた者も同じだ」(ヨハネ3・8)