あなたには言われたくない

けさ母と話していて「お前は耳が遠いな」と言う。たしかに耳が遠くて家内によく笑われるが、103歳の母に言われると参る。それは、わたしのほうが「まだまし」と思っているからだ。「あなたには言われたくない」という思い。反発心がそこにある。
北朝鮮やイランが、米国から核開発を止めろといわれても、「あなたには言われたくない」という反発があろう。米国は核兵器をしこたま5万と持っていながら、「お前は持つな」と言うのはおかしいからだ。米英仏露中の核兵器保有国が、毎年これこれの計画で核兵器を廃棄するならともかく、北朝鮮もイランも米国よりは「まだまし」と思っている。
エスが十字架で死んだのは、世の罪をあがなうためであったが、直接十字架の死への引き金を引いたのは、ユダヤ教リーダーの告発だ。それは大工の子、青年イエスとは、学問のレベルでも、年齢からも、自分たちが上だと思っていたユダヤ教リーダーが、イエスから「ああ、わざわいだ、学者、ファリサイ派!」と指弾されたとき、彼らはカチンときて「お前には言われたくない」と感じたからだ。おれたちのほうが「まだまし」だと。
だが「あなたには言われたくない」と思うとき、じつは見事に急所を突かれている。だから反発する。もし「なるほど」と反省し謙虚になれば、人も国家も成長するのだが。
「サウルは声をあげて泣き、ダビデに言った。お前はわたしより正しい」(サムエル上24・18)