エスさま!集会ができん!

木村英野さんという信仰ばあさんが、岡山の農村にいられた。
幸いな夢を見る方で、わたしが家庭集会へ行く葉書を出すと「うれしゅうて2回ほど集会をした夢を見たんよ。きょうの集会は三度目や」と笑う。主人の弘さんも「家内は寝言で、エスさま、エスさま言うて、うるそうてかなわん」と笑う。
ある年の初夢で主の晩餐に招かれ、「お父さん、エスさまや!」と叫んだその声で目が覚め「ああ惜しかった」。「アブラハムさんの着物を洗濯しよる夢も見たんよ。長い着物でそれを電気洗濯機で洗いよった」とまた笑う。
ある冬、石油ストーブからツツーと油がもれそこを火が走った。「エスさま!助けて!燃えたら集会できんようになる!」と叫び裏庭の弟を呼んだ。炎が天井をなめ始めたとき、弟がストーブを庭に放り出し江戸時代の大きな母屋や蔵が助かった。「エスさまはあんな大声で怒鳴らんでも聞こえたんよ」と笑う。
女学校の同窓会旅行で、寝る前に祈っていると「具合が悪いか」と友人が背中をさすった。「エスさまに祈っちょる」「エスさまって何や」。待ってましたと信仰談。別の友人が「天理教と同じようなもんじゃな」「違うわい。天理教には十字架はないじゃろうが」。ここまでくれば天下無敵。単純な喜びの信仰。英野さんは2003年、84歳で召された。
「あなたがたは、神の力により、信仰によって守られています。だから、大喜びしているのです」(第1ペトロ1・5、6)