補聴器入れても聞こえない

「現金も終わりだわ」と家内が言う。「現金がどうした」。「何言ってんの、連休も終わりだわと言ったの。補聴器入れてる」「入れてない」「それごらん」。
じつは昨年補聴器を買った。当時102歳の母が補聴器を入れて会話が通じるようになった。母が見るテレビは以前大音量だったのに、「音は小さく」というようになり「お前も補聴器を入れたら」という話。
デパートの店でいろいろ検査して買った。たしかに音は大きく聞こえる。しかし食事のとき、その噛む音がまず耳にひびき、口を止めないと相手の話は聞こえない。また会話のこまかい内容がよくくみ取れない。買った店へ出向いて調整してもらうが、期待したよりかなり低い評価になる。わたしは「補聴器利用者同盟」でもつくり、メーカーも交え、改善を計りたいぐらい。
エスは「聞く耳のある者は聞け」と言われる。どうやら「聞く耳」と「聞かぬ耳」があるらしい。たしかに聖書の話の録音をあとで聞くと、さお竹屋の売り声が大きいが、聖書の話を聞いていた最中は、聞くことに熱中して気にならなかった。これは「聞く心のある耳」だ。うなずいて聞いていても、話が終わると内容は忘れているようでは「聞く心のない耳」だ。それでは補聴器を入れても聞こえませんな。
「あなたはわたしの耳を開かれた」(詩篇40・6)