103歳の母の日

shirasagikara2006-05-14

きょうは「母の日」。そこに103歳の母と81歳の息子と74歳の娘が同居。珍しい祝福。
「美しかりし若妻も/幼な子ひとり育つれば/花のかんばせいつしかに/衰えゆくこそ悲しけれ」
「幼き者のがんぜなく/懐汚し背をぬらす/不浄を厭う色もなく/洗うも日々に幾度ぞや」
「髪くしけずり顔ぬぐい/衣を求め帯を買い/麗しきはみな子に与え/親は古きを選ぶなり」
「もし子遠くへ行くあらば/帰りてその面見るまでは/寝てもさめても子を思い/出ても入りても子を思う」(「感恩経」の一節)
母が結婚したあと、父は印刷業を借財とともに亡父から継いだ。若い母はその借財とわたしの脱腸で苦労した。路傍伝道の父のあとを、わたしを乳母車に乗せて歩き「初めから終わりまで聞いたのは乳母車の二人」と父が回想。敗戦後、息子と娘が住む東京に移転し父とともに伝道と茶道三昧の生活。父の死後13年生かされた。
きのう「寝ても座ってもだるい。きょうあたりで終わりのような気がする」「主さま、母が全身だるいと言っていますから助けてください。また安らかに召してください」と祈ると「アーメン」。しかし夜は「お茶の社中の方が待っている」「家に帰りたい」と妄想。
「お母さん。母の日や。来年の母の日は大丈夫か」「この調子ならいけそうやな」。
「わが魂は乳離れしたみどりごのように、安らかです」(詩篇131・2)