鄭泰時先生のこと

shirasagikara2006-05-17

わたしがもっとも尊敬する韓国人は鄭泰時(ヂョン・テェシ)先生。その先生が5年前の5月に天に召された。5月の空を仰ぐとわたしの心は韓国に飛ぶ。
1967年ソウルで大韓教育連合会事務総長の先生に初めて会った。そのとき「韓国に人物あり」と感じた。それは一度は日本の植民地官憲から、一度は韓国軍事政権から家宅捜査をうけ蔵書を没収されつつ、時代を見据えた悠然さと重なる。
先生は、日本の内村鑑三の弟子・金教臣の信仰の弟子だ。1940年9月、若くして地方の小学校の教頭のとき、京城(ソウル)で矢内原忠雄の「ロマ書講義」を5日間聞いた。矢内原は当時東大を追われた危険人物。辞職覚悟だった。
先生が公州教育大学学長のとき、その講堂で満堂の学生にわたしは講演。話が終わると、先生はテーブルを叩き大声で叫ばれた。それは講演の途中、数名の学生が退場したのを「なんたる非礼!」と叱られたのだ。柔和な先生に激しい一面を見た。
先生の女婿・金一平(キム・イルピョン)米国州立大学教授が、日本の国際基督教大学との交換教授として来日。鄭・金一家と藤尾・桜井一家はキリストにある深い尊敬と信頼でむすばれ、先生とわたしの手紙の束は、どの日本人よりしげく空を飛び交った。
あの5月以来、韓国をたずねる元気が失せた。(鄭泰時・1917〜2001)
「光の中を歩むなら、たがいに交わりをもつ」(第1ヨハネ1・7)