大相撲の審判

夏場所もはや12日目。しかし「蒙古襲来・欧露来襲」で、相撲人気は下がり気味だ。
その土俵で、一番の華はぶつかりあう力士だが、行司の存在も大きい。あざやかなデザインと色彩の衣装は200年変わらぬ烏帽子直垂(えぼし・ひたたれ)姿。立行司ともなれば、紫の房の軍配団扇を右手に、胸に短刀、腰に印籠、足は白足袋に草履のいでたち。
「待ったなし!」「発気よい!」「残った、残った」の掛け声も透き通り、勝ち名乗りをあげ賞金を手渡す仕草も古式ゆかしい。しかも土俵の勝敗の判定権は彼のもの。ただ行司はどちらかに軍配を挙げねばならず、行司差し違えもおこる。
相撲判定の公平厳格さは、他の格闘技とくらべ群を抜く。行司のほかに、元力士の5人の審判委員が、土俵の近く低い位置から行司の判定に目を凝らす。ときに「異議あり」と手を挙げ、合議のすえ最終判定を決定。力士は一切勝敗には無言で服従
この「審きの公平」は「神の審判」に通じる。神の審きに遺漏はない。髪の毛一筋も見逃されない。だれがその審きに耐えられよう。無言で服従の人間は全滅だ。だから「罪なきイエスが罪そのものとなって死に」「罪ある者が罪あるままに罪なきものとされた」。
「あなたが罪をすべて心に留められるなら、主よ、誰が耐ええましょう」(詩篇130・3)