アーメンと言えない祈り

その日、荻窪栄光教会の一室に集まった5人は、机の正面に森山諭牧師、左右に向き合い酒枝義旗先生と安利淑女史、下座に待晨堂の市川昌宏店主とわたし。1973年春のこと。
それは安利淑著「たといそうでなくても」についての話し合い。安さんは、著書が書店に並ばない理由。続刊しないのはなぜか。2万部も売れたなら著作権料をいただきたい。
酒枝先生の答え。群小出版社の本は本屋に並ばぬ。だから「朝日・書評」をねらった。続刊休止は待晨会堂の数千部を行事のたび移動する会員の苦労休止のため。定価は破格の1200円で利益はない。著作権料代わりに米国へ著書数百部発送済み。
森山牧師は市川さんの発送の苦労を語った。安さんは「そんな苦労は殉教した韓国の聖徒に較べ、ち〜さいことです」。 話し合いは平行線。酒枝先生は別に用意されたお金を渡された。力が抜けた。
森山牧師は「あすはイースター。祈りましよう」。森山、酒枝、市川、わたしと祈った。最後の安さんの祈りにわたしは「アーメン」と言えなかった。
神社参拝を拒否して6年もピョンヤンに入獄した安さんの祈りは「この本の出版を阻むものを呪ってください。その呪われたことをその身にあらわしてください」。以後わたしは、迫害に耐えたなどを、たいしたことと思わなくなった。人間が何をしたかでなく、キリストが何をされたかが大事だ。
「迫害する者のために祝福を祈りなさい。呪ってはなりません」(ローマ12・14)