ひさしとノア

わが家と道路をへだてたお向かいが、昨年の今ごろ、あっという間に更地になり、年末にはそこへ三軒もの家が並び建った。それを眺めて気づいたのは庇(ひさし)の短さだ。
日本の古民家には大屋根や深いひさしがある。雨風も防げるし日よけにもなる。大きな寺やりっぱな家は、大屋根が二段になり、長くひさしを張り出しその陰に人々は憩う。
有名な聖書のことばに「愛はすべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」がある。使徒パウロが書いた「コリント人への第1の手紙」13章7節だ。この「すべてを忍び」(パンタ・ステガイ)の「忍ぶ」は、「屋根」とか「ひさし」から出たことばだ。とすれば「愛はすべてを覆う」となる。
箱舟を出たノアが、ブドウ酒で泥酔し、裸でねむりこけた。そのとき次男のハムは父の裸(失敗)を兄弟に告げた。「親父がはだかでひっくり返っているぞ!」。しかしセムとヤフェトは着物をそれぞれ肩にかけ、後ろむきに歩き「父の裸(失敗)を覆った」(創世記9・23)。相手の失敗を触れまわるか。失敗を認めた上で包むか。包み覆うのが愛だ。
英国欽定訳の影響からか、愛は「ガマン」(塚本訳)の系譜の翻訳が多いが、パウロは愛は屋根のように、庇のように、「失敗を覆う」と言いたかったのではないか。
「愛はすべての罪を覆う」(箴言10・12)